【コラム】国立韓国文学館、残念(1)
ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2016.06.07 14:12
高見順(1907~1965)という日本の文人がいた。詩人・小説家・評論家として活躍した。特有の才気溌剌な文体は「饒舌体」と呼ばれる。私生児として生まれ、恨みが多かった。実父は福井県知事だったが、管内の視察をした時に村の有力者たちが「しっかりお世話をせよ」と宿舎に送り込んだ娘が10カ月後に彼を産んだ。母親と共に辛い成長期を送ったため大きくなってからも実父を探すことも会うこともなかった。名門の東京第一高校と東京帝国大学英文科を卒業して文人の道を歩み始めた。
作家としての業績のほかに高見順と言えばもれなく議論されるのが「日本近代文学館の父」という点だ。第2次大戦敗戦後のごたごたした雰囲気が落ち着いた1961年、高見順は日帝時代と敗戦、戦後復興の渦中で数多くの文学関連資料や遺品が消えて忘れ去られることを放っておいてはいけないと各界に訴えた。川端康成(1899~1972)・伊藤整(1905~1969)・井上靖(1907~1991)ら有名文人と出版社・新聞社がこれに賛同した。募金運動が広がり全国から資料の寄贈が相次いだ。1963年に純粋な民間団体「財団法人日本近代文学館」がスタートして高見順が初代理事長をつとめた。1965年8月16日、東京の駒場公園の敷地で文学館の建物起工式が行われた。末期の食道がんと闘っていた高見順は「ホラばかり吹いて仕事をやり切ることができずて申し訳ない」という病床からのメッセージを送って皆を粛然とさせた。彼は起工式の翌日に亡くなった。2年後の67年4月に建物が完工し、開館式と共に高見順の銅像除幕式が挙行された。