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<平昌五輪>キム・ボルム、高木姉妹の挟撃を突き抜けろ

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.01.17 09:23
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スピードスケート韓国代表のキム・ボルム(25、江原道庁)は2018平昌(ピョンチャン)冬季オリンピック(五輪)で金メダルを目指している。夢をかなえるために警戒すべき相手がいる。日本の高木菜那(26)と高木美帆(24)の姉妹だ。

キム・ボルムは平昌五輪で初めて正式種目になったマススタート種目で金メダル有力候補だ。マススタートは2人ずつ滑走して記録で順位を決める通常のスピードスケート種目とは違い、多数の選手が同時に滑走して順位を競う種目。400メートルのトラックを16周する。ショートトラック(111.12メートル)競技をロングトラック(400メートル)ですると考えればよい。ショートトラック出身のキム・ボルムには有利な種目だ。

 
小学5年でショートトラックを始めたキム・ボルムは代表選抜戦でいつも脱落していた。ショートトラック最強の韓国で太極マークを付けるのは難しかった。挫折したキム・ボルムはショートトラックからスピードスケートで転向した李承勲(イ・スンフン、30、大韓航空)が2010バンクーバー五輪1万メートルで金メダルを獲得するのを見た。キム・ボルムは同年5月、スピードスケートに転向した。

キム・ボルムはスピードスケートに転向してから1年で太極マークを付けた。マススタートで実力を発揮した。キム・ボルムは「ショートトラックで小さなトラックを滑ってきたのでマススタートでうまく滑ることができた」と話した。2016-17シーズンの5回のワールドカップ(W杯)シリーズで2回優勝し、昨年2月に五輪競技場の江陵(カンヌン)スピードスケート競技場で開催された世界種目別選手権大会でも金メダルを獲得した。

日本の高木姉妹は小学校に入学する前にスケートを始めた。スケートをする兄を見ながらだ。姉妹のうち先に名前が知られたのは妹の高木美帆。高木美帆は中学生だった2010年、バンクーバー五輪に出場した。姉の高木菜那は2014年のソチ五輪に出場した。2人は「スピードスケート強国」オランダのコーチから習いながら実力が急速に伸びた。「一緒に五輪に出るのが夢」と話していた姉妹は平昌でその夢をかなえることになった。

五輪を控えた現在、妹の高木美帆が勢いに乗っている。高木美帆は今季4回のW杯で1500メートルを席巻した。3000メートルと団体追い抜きでも頭角を現している。姉の高木菜那はこれら種目では妹に劣るが、団体追い抜きやマススタートなどでは手強い。特に昨年2月の世界種目別選手権大会マススタートではキム・ボルムに続いて2位となり、今季W杯第3戦でも銅メダルを獲得した。

高木姉妹は特にマススタートで難敵となる。マススタートは種目の特性上、チームメート間の「協力」と「犠牲」が重要だ。ほとんど国別に2人が出場するが、1人が前で風を防ぐ役割をし、もう一人が後ろで体力を温存する。そして終盤に後方の選手が前に出てゴールインする戦略を使う。風よけ役をする選手はメダルを取るのが難しい。特に五輪ではそうだ。

血を分けた高木姉妹は昨年2月の札幌冬アジア競技大会で「犠牲の定石」を見せた。アジア競技大会のマススタートは国別に3人まで出場できるが、日本では高木姉妹と佐藤綾乃が出場した。日本選手たちはキム・ボルムを徹底的に封じた。キム・ボルムが前に出ようとすれば姉の高木菜那が牽制し、結局、キム・ボルムは12周目で高木美帆と佐藤にほとんど1周遅れとなった。金、銀メダルを高木美帆と佐藤が分け合い、キム・ボルムは銅メダルに終わった。高木菜那は4位でメダルを取れなかったが、献身して妹に金メダルを握らせたのだ。

当時、韓国からキム・ボルム、パク・ドヨン、パク・ジウの3人が出場したが、日本のはさみ撃ちを受けてキム・ボルム一人で孤軍奮闘した。キム・ボルムは「日本の選手たちの成長は刺激になる。もっと頑張って練習して、平昌五輪では日本選手の作戦に巻き込まれないようにしたい」と語った。最近、キム・ボルムのコンディションは良くない。昨年11月のW杯第1戦で転倒し、腰と脚をけがした。このため今季のW杯マススタートでは先月の第4戦の銅メダルが最高成績だ。

日本スケート競技連盟は最近、姉の高木菜那と佐藤を平昌五輪マススタートの主力選手として、妹の高木美帆を候補選手として発表した。競技では佐藤の代わりに高木美帆が出てくる可能性もある。ジェガル・ソンリョルSBS(ソウル放送)解説委員は「幼い頃から一緒にしてきた高木姉妹は本当に息がよく合う。マススタート競技当日のコンディションによっては姉妹が出場する可能性が高いため、韓国代表チームも注視しなければいけない」と強調した。

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