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開城工業団地閉鎖から1年、社長から食堂の調理補助に

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.02.09 16:53
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「1年前の(朴槿恵大統領の)開城(ケソン)工業団地閉鎖決定はいかなる対策もない性急な判断だった。いま考えても残念でならない」。

開城工業団地入居企業に部品などを納品してきた中小企業テジンティージェイのコ・ジェグォン代表(54)。1年前までは中小企業の社長だったコさんが、開城工業団地稼働中断の余波で今は厨房補助として雑用をしている。天国と地獄を見たこの1年はコさんには夢のようだ。

 
コさんは2010年から開城工業団地を出入りし、入居企業などに自動車および自転車部品・事務用品などを納品してきた。しかし昨年2月の開城工業団地閉鎖措置で突然、生計の手段を失った。

コさんは開城工業団地の営業事務所に積んでいた部品・資材など3500万ウォン(約350万円)分を失った。昨年の今ごろ旧正月のため韓国に戻っていたが、閉鎖決定を聞いて急いで現地に向かった。しかし坡州(パジュ)統一大橋で出入りが阻まれた。全財産のような物品は首都圏のあちこちを回りながら運んだものだった。主な取引先だった開城工業団地入居企業がともに閉鎖されたことで、南側でも企業活動を続けることができなかった。

家賃も支払えず昨年5月からは借家を出て娘とともにソウルの親の家に入って暮らしている。別の仕事を探したコさんは昨年8月から11月まで京畿道高陽市(コヤンシ)一帯を回りながら自転車修理の仕事をし、月140万ウォンほど稼いで生活した。開城工業団地の北朝鮮勤労者が出退勤時に乗る自転車の部品を納品しながら身につけた修理技術が役立った。

娘とともに生きていくため未熟な手で一日8時間ほど汗を流した。しかしこれも冬になると仕事が減り、昨年12月からは親戚が経営するソウル禾谷洞(ファゴクトン)の鴨料理店で一日10時間、調理補助をしている。このように生活に苦しんでいるが、政府から一銭の補償も受けられなかったという。昨年12月に開城工業地区支援財団の職員が支援策に関する説明をしたのがすべてだ。

コさんは「予想することもできなかったし、納得もできない急な開城工業団地閉鎖の理由について最近思うことがある」と話した。最近の国政壟断事態を見ながら開城工業団地企業の間でも「開城工業団地閉鎖決定の過程に国政壟断勢力が介入したのでは」と疑問を提起しているという。コさんは「南北が苦労して築いた開城工業団地は南北経済協力の場を越えて南北平和共存の舞台という点で、必ず再開されなければならず、そうなると信じている」と語った。

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    2017.02.09 16:53
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    開城工業団地の閉鎖で事業体を失ったコ・ジェグォンさんが鴨料理店の厨房で働いている。
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