閔妃は寝室ではなく庭で殺害

閔妃は寝室ではなく庭で殺害

2005年01月13日16時26分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  閔妃(ミンビ、追号:明成皇后)殺害事件(1895年)当時、閔妃は自身の寝室ではなく庭で殺害され、遺体は今の青瓦台(チョンワデ、大統領府)春秋館(チュンジュグヮン)のある鹿山(ノクサン)の南で焼かれたことを示す日本側の史料が公開された。

  ソウル大の李泰鎮(イ・テジン)教授(韓国史)は13日、日本外務省付属の外交資料館から、事件当時に京城(ソウル)駐在日本一等領事だった内田定槌によって1895年12月21日付で作成され外務省次官に提出された「韓国王妃殺害一件第2巻」なる文書を発見したと発表した。

  同文書によれば、1895年10月8日の未明に日本の浪人らが閔妃の寝所であった乾清宮(コンチョングン)に侵入し、乾清宮内の長安堂(チャンアンダン)と坤寧閤(コンリョンハップ)の間にあった庭へ閔妃を引きずり出して殺害した。 遺体は坤寧閤の東にあった玉壺楼(オクホル)の部屋の中に置かれたが、その後乾清宮の東にあった鹿山の南で焼かれた。

  同文書は、昨年に国史編纂委員会が発行した『日本外務省外交資料館所蔵韓国関係史目録』で既にリストアップされていたが、内容が具体的に明らかにされたのは今回が初めてだ。

  李教授は「報告書の内容からみて、日本政府は閔妃殺害犯の裁判が行われる以前から既に事件の経緯を詳細に把握していたのだろう」とし「それにもかかわらず報告書が裁判の証拠として提出されなかったのは、日本が事件を隠匿しようとしたからだと考える」と説明した。

  明智(ミョンジ)大のホン・スンミン教授(韓国史)は「殺害の責任を結果的に日本政府に求めることのできる資料だ」とし「学界で論議の絶えなかった閔妃の遺体の行方が具体的に解明される契機となることを望む」と話した。
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