軍事分界線が消えた…2007年5月17日12時18分

軍事分界線が消えた…2007年5月17日12時18分

2007年05月18日10時16分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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南北分断で運行停止されていた京義線が56年ぶりに、東海線列車が57年ぶりにつながった。17日、試運転として東海線北朝鮮列車が金剛山駅を出発して軍事分界線を越え、江原道猪津(チェジン)駅に向かって走っている。写真=共同取材団



  「今ちょうど列車が軍事分界線(MDL)を越えています」--。

  17日昼12時18分。ムンサン駅を出発した京義(キョンウィ)線列車に案内の声が響いた。鉄馬が非武装地帯(DMZ)を通り抜けて北朝鮮の地に入った瞬間だった。その瞬間だけは軍事分界線が消えたようだった。

  戦争の真っ最中だった1951年6月12日。南側の地だった開城(ケソン)が北朝鮮軍に占領され、列車運行もストップした。その後、56年間ここでは時間が止まった。京義線列車は分断と抗争の擦り傷を抱きながら錆びていった。

  車窓の外に見えるDMZの木々は南側の乗客100人を撫でるように鉄路の内側まで伸びて5月の新緑を車内にも広げた。列車のないレールに慣れていたヤマドリやシカたちはびっくりして走っていった。

  しばらくして開城(ケソン)の地が見えてくると超大型北朝鮮国旗がかかった北朝鮮気静洞(キジョンドン)宣伝村が目に入ってきた。

  我々には対立と憎悪、恐怖と分裂の象徴である北朝鮮国旗の裏に回ると隣接した南側大成洞(テソン)自由村の国旗掲揚台が見えて来た。どれも旗竿の高さと国旗の大きさで威勢を誇示した冷戦時代の遺物だった。それらがはためくことは、疲れてだるい任務を終えて安息がほしいという叫びのようにも見えた。

  列車が板門(パンムン)駅に入ると隣接する開城工団の南側労働者数百人がプラカードを掲げて列車の北への道を祝った。数百メートル間隔で並んだ北朝鮮軍兵士らの鋭い監視の目だけがまだ南北が完全な和解協力を迎えることができなかったことを感じさせた。

  北側の雰囲気は記者の予想をはずした。祝砲と歓呼の声、線路に並んだ人々の期待と希望がいっぱいだった南側とは確実に違った。

  北朝鮮最南端である板門駅には駅員7人と13人の税関員だけが出ていた。田植えを待つ田んぼにはどこかに消えた農民たちが置いていった農機具が倒れていた。

  列車に同乗した北朝鮮側関係者50人も寒々しい雰囲気だった。訪朝取材の時に会って記者と親しい北側団長権虎雄(クォン・ホウン)内閣責任参事は終始固い表情だった。北側が南側のような100人を乗車させようとしたが、規模を半分に減らしたことも目を引く部分だ。

  あれこれ考えて落ちこんでいた頃、急に「統一!統一!」を連呼する声が聞こえた。開城駅到着を歓迎する北朝鮮の学生たちだった。白シャツに赤いネクタイをした彼らからは、動員されたという表情がありありと見えた。花束贈呈のような歓迎の雰囲気もなかった。

  こうした奇妙な状況に対して列車に乗ったある南側の高位関係者は「北朝鮮軍部は試運転をコメ40万トンとせっけん、履き物など原資材を受け取るための行事程度にしか認識していないようだ」と話した。
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