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「大韓民国」の4文字、1899年の独立新聞論説にある(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.12.11 14:15
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大韓民国の国号はさらに1903年、在韓日本公使観が本国の外務省に送った「韓国朝廷の兌換券の発行計画」に関する報告文にも登場する。日本の外交官たちが公式報告書に使うほど大韓民国という国号が一定に使われていたという話だ。ファン教授の論文は単に大韓帝国の国号が1919年以前にも使われたことを明らかにするだけではない。『承政院(スンジョンウォン)日記』『高宗実録』など膨大な分量の歴史研究の結果と、自身のドイツ留学(フランクフルト大学)時代の主専攻である政治哲学の知識を動員し、大韓民国の国号の起源が英祖・正祖時代までさかのぼるほど根が深いという主張をする。

核心は、大韓民国の「大韓」の部分には特別な論争のタネがないが、「民国」は単に国の名前に過ぎないわけではないということだ。民を君主よりも大切に思うべきだという孔子・孟子の政治哲学を実際に国を導く統治哲学として受け入れた朝鮮王朝が17~18世紀、国民の公務担任・政治参加が拡大する過程を体験した後、高宗の代に至って身分差別の撤廃を宣言した一種の「国民国家」に達したが、「民国」という名前はそうした政治的変動の過程を含蓄しているという主張だ。

 
ファン教授は「こうした立場から見れば1945年8月が政府樹立だ、いや建国だという論争は意味がない」とした。「5000年前から政治体制だけが変わってきただけで長い年月をかけて国民国家が形成された国で、いつ国ができたのかを問い詰めるものではない」という主張だ。それと共に「あえて問い詰めるべきだとすれば1897年の大韓帝国宣言を建国時点とみるべきだろう」とした。

ファン教授がこのような議論を展開する土台には「民が国の根本」という儒学経典『書経』の「民惟邦本」哲学、「民は尊く君主は軽い」という孟子の『民貴君軽論』など孔子・孟子の政治哲学だ。孔子思想が西洋のいかなる政治哲学よりも優れた普遍的な真理を含んでいるとみるためだ。

◆ファン・テヨン=1955年全羅北道金堤(チョンラブクド・キムジェ)生まれ。ソウル大学外交学科3年時に外務考試(外交部の公務員試験)に合格したが、学問の道を選んでドイツのフランクフルト大学でマルクス研究で博士学位。現在は情緒的な行為である共感能力を引き込んだ「共感の解析学」という枠組みで、東アジアの孔子・孟子思想が17~18世紀の西洋の啓蒙思想の根源であることを明らかにする研究をしている。1997年に金大中(キム・デジュン)元大統領に「DJP」連合を提案もした。


「大韓民国」の4文字、1899年の独立新聞論説にある(1)

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