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【時視各角】英語ができない“理念大使”を派遣する韓国政府

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.12.15 14:08
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銃が日本に伝来したのは1543年だ。台風で漂流した難破船のポルトガル商人が伝え、織田信長を経て恐怖のゲームチェンジャー(勢力構図を変える契機)となった。再めて思い出すべきことは、この新兵器が1592年の壬辰倭乱前に朝鮮に到着していたという事実だ。『宣祖修正実録』には1589年に対馬島主が銃数丁を献上したことが記されている。柳成龍(リュ・ソンニョン)の『懲泌録』には1590年朝鮮通信使が日本から持ち帰ってきたと記録されている。どちらにしても、恐るべき性能を皆がその目で確認した後、朝鮮朝廷は銃を軍器寺倉庫に静かに保管することを決めた。(軍器寺は、高麗・朝鮮時代に兵器の製造などを管轄していた機関。)

そのような安易な「まさかの政治」で人口の3分の1が死に、耕作地は3分の2が荒廃した。今は北朝鮮の核だ。わずか3、4カ月後にはミサイルに搭載できるような小型軽量化した核兵器が北朝鮮に実戦配備されるだろうと専門家はみている。核兵器を乗せて飛行する大陸間弾道ミサイル(ICBM)「火星15」はすでに先月、試験発射を終えている。米国中央情報局(CIA)は3カ月ほどあれば最終的に完成するとみているという。過去の核危機とは次元が違う。

厳しい状況で文在寅(ムン・ジェイン)大統領が中国を「国賓訪問」した。形式的には外交侮辱を受け、内容的にはそれほど成果は大きくない。中国の韓国馴らしが最も大きな理由だ。だが、中国にはびくびくしている文政府の“理念外交”(政治的性向や思想が似ている人々による外交)も一役買った。3不に足を引っ張られ「中国の安保利益を侵害しないように格別に留意する」という大統領発言まで登場した。THAAD(高高度ミサイル防御)は北核があったからで、北核を防ぐことができないのは中国にも責任がある。今回確認して要求するべきことが多かったのに期待に及ばなかった。

 
なぜそうなったのか。根本的には盧武鉉(ノ・ムヒョン)時代の対北朝鮮観と北核フレームから一歩も外に踏み出すことができなかったためだ。2004年、盧大統領は北核に関連して「外部の脅威から自分の身を守る抑制手段という主張には一理ある」と述べた。それでもその時は核実験の前でICBMもなかった。その後6回の核実験で「核兵器をどんどん生産することができるようになった」北朝鮮だ。認識と解決法が完全に変わらなければならない。それでも「北核は米朝問題」であり、「米国の北朝鮮敵対視政策のため」とのことだ。「対米交渉用」は、盧元大統領の認識と同じだ。

だから「韓国と中国は北核問題に関し、双中断で立場が全く同じ」という奇怪な発言が大統領と共に訪中した政界の実力者の口から出るのだ。原因で災難である北核と、その対応で合法である軍事演習がなぜ双中断の対象になるか意味が分からない。「レッドラインは越えなかった」という政府に「『火星15』は長距離ミサイル」という外交長官だ。よほどでなければ「ダチョウのように頭を砂に埋めている(=現実から目をそらしている)」などという批判は出てこない。

韓国の政治において北朝鮮問題は理念の戦場だ。主思派と同盟派が最も深刻な衝突をみせたのは盧武鉉政権初期だ。それでもその時は米国と話ができる潘基文(パン・ギムン)外交長官、韓昇洲(ハン・スンジュ)駐米大使がいた。しかし今は主思派に対話派一色の外交安保チームが中国など4強に続いて主要国の大使として理念落下傘人事を拡大させている。大使任命前には英語試験が必須だ。盧武鉉政府の時にできた。だが、文政府の理念人事では免除という。銃の撃ち方を知らない戦闘兵を戦場に送り込むようなものだ。軍では将軍の昇進人事が2カ月近く延期されている。理念検証のためだといううわさだ。

北朝鮮核は銃よりも複雑かもしれない。しかしどちらにしても、終わりに向かって猛スピードで進んでいくのは明らかだ。緊急の危機に耐えて乗り越えられるような経験と知恵ならすべてかき集めなければならない。周辺強国の荒々しい挑戦に理念と思想カラーだけで立ち向かっていこうなどというのは、銃を軍器寺に奥深くしまい込んでいた朝鮮の情けない党派争いと違うところがないのではないか。

チェ・サンヨン/論説委員

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