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<韓国旅客船沈没>「希望の借りを返しに」 珍島に来たアフガニスタン人カップル

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.04.24 10:45
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「セウォル号」という名前が耳に入った。振り向くと、テレビの画面には沈没する船があった。昨年6月に済州旅行に行く時に乗った船だった。客室の記憶はまだはっきりと残っていた。

最初の2日間は救助活動を見守っていた。進展がなかった。疲れきった家族の姿が目に入った。「行こう。私たちに希望を与えてくれた人たちがあそこで悲嘆にくれている」。

 
18日夜に忠清南道牙山を出発した2人は、翌朝、全羅南道珍島に到着し、ボランティア活動を始めた。アフガニスタン出身のシャムス・サミムさん(27)とマハク・パレンギスさん(28、女性)。2人は19日朝から今まで、行方不明者の家族がいる珍島室内体育館で清掃や食事の準備を手伝っている。午前8時から午後10時まで休まない。睡眠は自動車の中でとる。

婚約した2人は2008年に韓国と縁を結んだ。アフガニスタン駐在韓国国際協力団(KOICA)の仕事をサポートし、韓国政府の奨学生として翌年、忠清南道牙山の鮮文大学に入学した。年初に卒業し、韓国で就職の準備をしていたところ、セウォル号の事故を知り、駆けつけた。マハクさんは「つらい思いをしている家族には話しかけるのも慎重になるしかない」とし「私たちが受けた希望を少しでも返すことができればいい」と話した。

セウォル号が沈没してから8日目の23日。行方不明者の家族に疲労がたまっている。家族のそばを全国から来た約1900人のボランティアメンバーが守っている。インターネットとソーシャルネットワークサービス(SNS)を通じて全国ネットワークボランティア団体が結成され、珍島に来る人もいた。大学生のチョン・ダウンさん(24、江原道原州、女性)とチョン・スラムさん(26、慶尚北道浦項、女性)がそうだ。誰かがインターネットに「セウォル号のボランティアに行く人は連絡先を書いてください」というコメントを載せたのがきっかけとなった。連絡先を書き込んだ人たちがSNS上で集まった。20人ずつ2、3日間ボランティアをし、次の組の20人と交代する。こうした形でチョンさんらは21日、初めて珍島で顔に合わせた。

ボランティアメンバーは黙々と食べ物を用意し、清掃と洗濯をする。「洗濯回収」と書かれた紙を持って家族の間を歩き、洗濯物を受ければ家族の名前と携帯電話番号を書く。ボランティアメンバーはこのように家族の悲しみまで分担している。行方不明の父(60)を待つキムさん(31、自営業)は「最初は苦しさからボランティアメンバーにまで大声をあげたりしたが、ずっと私たちの世話を続けてくれている」とし「本当にありがたい」と語った。

家族と一緒に過ごし、悲しみも分かち合う。全北ボランティア総合センターの一員としてここに来たキム・ギウォンさん(64)は「まだ食べ物を受けつけず水だけ飲んでいる人もいる」とし「いくら強い人でもここにくれば一度は涙を流すことになるはず」と話した。

絶叫する家族を見て、衝撃のため心理相談を受けるボランティアメンバーもいる。現場で心理相談をしている釜山昌信大学のハ・ジョンミ博士は「一日の相談者の半分ほどがボランティアメンバー」と話した。チョン・ダウンさんは「怒りのため時々大声をあげていた家族だが、今は気を落として言葉がない」とし「どうか生存者が出てきてほしい」と話した。


【特集】韓国旅客船「セウォル」沈没事故

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    <韓国旅客船沈没>「希望の借りを返しに」 珍島に来たアフガニスタン人カップル

    2014.04.24 10:45
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    シャムス・サミムさん(右)とマハク・パレンギスさんが珍島室内体育館で清掃を手伝っている。
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