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「唐辛子、朝鮮初期にもあった」

2009.02.19 12:14
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韓国の辛味を象徴する唐辛子が、壬辰倭乱(イムジンウェラン=文禄慶長の役、1592~1598年)当時、日本を通じて入ってきたという通説とは違い、それ以前の朝鮮初期に韓半島に存在したという主張が提起された。

韓国食品研究院のクォン・デヨン博士チームと韓国学中央研究院のチョン・ギョンラン責任研究員は、韓国食品研究院が18日に発刊した季刊誌『韓国の味・ハンオル』で、唐辛子の日本伝来説を古文献分析を通じて否認する研究結果を発表した。

唐辛子の「日本伝来説」はイ・ソンウの『高麗以前の韓国食生活史研究』(1978年)で紹介されて以降、通説として受け入れられてきた。このため壬辰倭乱以前のキムチは唐辛子が入っていないキムチしかなかったといわれてきた。今回の研究結果によると、世宗15年(1433年)の文献である『郷薬集成方』、世祖6年(1460年)に発刊された『食療纂要』にコチュジャンを意味する“チョジャン”(椒醤)という単語が出ている。

 
椒が現代の唐辛子を意味するかが問題となるわけだが、これを立証する記録が古文献に多数扱われているということが研究チームの分析だ。壬辰倭乱勃発100年前の成宗18年(1487年)に発刊された『救急簡易方』には漢字の椒にハングルで「コチョ」と明記され、中宗22年(1527年)の『訓蒙字会』でも「コチョ椒」が明記されているというのだ。

「淳昌(スンチャン)チョジャン(淳昌椒醤)は全国的によく知られている」という表現も1670年代以降の文献に出ているので「チョジャン=コチュジャン」ということで異論はないと研究チームは主張している。

「日本伝来説」での核心は、コロンブスが中央アメリカからアヒ(aji)という唐辛子をヨーロッパに伝え、日本を経て朝鮮→中国→インドに伝わったというものだ。クォン博士はこれに対してコロンブスが持っていったというアヒ(aji)という唐辛子は、韓国固有の唐辛子とは違うということを生物学的、農耕史学的理由を挙げて説明した。

研究チームは唐辛子とコチュジャンが中央アメリカではない中国にかなり前から存在したという中国古文献の記録を提示した。中国の唐の宣宗(850年)のときに発刊された『食医心鑑』には鶏肉関連の食べ物を説明した際「チョジャン」(椒醤)という表現が使われている。

クォン博士は「唐辛子が中央アメリカと日本を通じて韓半島に入ってきたということに疑問を持ち、15年前からこの問題を研究してきた」とし「人類学会と食文化学会で討論を提案、6月ごろ行う計画だ」と話している。

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