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親日論争にも全集が完刊…詩人・徐廷柱の芸術世界を網羅

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.08.22 18:00
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徐廷柱の生前の姿。右側は全集。
「未堂〔ミダン、徐廷柱(ソ・ジョンジュ)の雅号〕が夭折していたら、彼の1941年の初めての詩集『花蛇集』は韓国文学最大の詩集になり、未堂自身は最高の民衆詩人、民族詩人になっていたでしょう」

高麗(コリョ)大イ・ナムホ教授は詩人の未堂・徐廷柱(1915~2000年)の芸術的地位をこのように要約した。21日に開かれた全20巻からなる未堂の全集(ウネンナム出版社)の完刊記者懇談会でだ。だが、これで終わりではなかった。席からすっくと立ち上がると、後方に置かれた全集を指して「だが、『花蛇集』一冊より、ここにあるこの全集すべてを所蔵することが千倍、万倍良いと思う」と付け加えた。未堂が長生きしてよかった、彼の文学は高尚なだけでなく幅も広いということだった。イ教授は文学評論家のイ・ギョンチョル氏と仁荷(インハ)大のチェ・ヒョンシク教授、未堂の最後の弟子だった東国(トングク)大のユン・ジェウン教授、放送作家のチョン・オクナン氏とともに全集の編集を手がけた。企画段階からだと足掛け5年の大作を一段落させた感慨はことのほか大きいようだった。

 
編集委員の自画自賛だけではなく、今回の全集は未堂文学の実体を全て把握することができるものになっている。彼が残した1000編を越える詩作品の中で、生前15冊の詩集に含まれてなかった作品はできるだけ除外した950編を全集の1~5巻に入れた。賛否両論のある親日詩4編も外された。何より最高の未堂専門家である編集委員が膝を突き合わせて、生前に未堂が一生かけて絶えず作品を修正し続けたことで、版本によりそれぞれ違う表現の一つを選択する定本確定作業を進めた。過去の話しぶりの雰囲気が出ている詩語を、現時点での現代語感覚に合うように整えながらも生前の詩人の意図が明らかな方言はそのまま残している。

ユン・ジェウン教授は「未堂先生が生前、いろいろなところに発表して散らばっていた主要な作品に対する詩人自身の解説を一つに集めたのも今回の全集の成果」と自評した。チョン・オクナン氏ら編集委員が膨大な資料を集めに奔走した結果だ。全集第11巻の『私の詩』に集めた。

第6、7巻は自叙伝、第8~11巻は散文、完刊とともに出版された第18~20巻には小説や戯曲、未堂が書いた金佐鎮(キム・ジャジン)と李承晩(イ・スンマン)の伝記が載せられている。未堂が翻訳した、萬海(マンへ)韓龍雲(ハン・ヨンウン)僧侶と石チョン(ソクチョン)朴漢永(パク・ハンヨン)僧侶の漢詩もあわせて載せられた。このほかにも詩論、放浪記、昔話と名前が付けられた世界の民話集も全集に含まれている。

チェ・ヒョンシク教授は「定本確定作業をしたが今回の出版本には終わりはないと考える」と述べた。後続研究の結果によって、その時々に合う新しい定本をいくらでも作ることができるという意味だ。未堂が読み継がれなくてはならないという意味だ。チョン・オクナン氏は「めげずに9回、10回と全集校正作業を進めていくうちに、先生が生涯かけて本当に一生懸命読んでお書きになったんだなと思うようになった」と話した。

『花蛇集』一冊よりも全集がはるかに良いというイ・ナムホ教授の発言は、未堂の親日論争を念頭に置いたものだ。イ教授は「政治は短く芸術は長い」という言葉で論争に対する立場を明らかにした。1000編を越える詩の中で、親日詩は4編に過ぎず、未堂の親日程度は深刻ではないというのが文壇の常識的な評価だ。イ教授は「広大な蚕室(チャムシル)運動場に雑草が3、4本生えていると言って運動場全体を耕し直すことはできない」とし「未堂の親日は広く深く、時代の複雑性を考慮して理解しなければならない。単純な文章では明らかにできないことを明らかにするのが文学の役割」と述べた。

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