주요 기사 바로가기

デモ鎮圧の象徴、戦闘警察が42年の歴史閉じる=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.09.27 17:39
0
◆釜山東義(トンウィ)大学デモ時は火炎瓶に3人殉職

激動の現代史は私たちにも危うい時だった。42年間、デモ鎮圧や対スパイ作戦など任務を遂行していた間に殉職した戦警は322人に達する。

 
89年5月3日、釜山東義大学デモ現場ではモ・ソンテ三警ら戦警3人が殉職した。当時の学生デモ隊は戦警5人を監禁したし、彼らを救出する過程で学生たちが投げた火炎瓶で火事が起こり惨劇が広がった。

後日、東義大デモ学生46人は民主化運動の関連者と認定されて補償を受けたが、戦警の殉職者には400万ウォン余りの補償金が全てであった。4月に補償手続きがしっかり行われて遺族にそれぞれ1億1400万ウォン余りが支給された。

90年代後半から石と火炎瓶を動員したデモは、ほとんど消えたようなものだ。このため2000年代以後、私たちの主な任務は警察の治安業務を補完することに変わった。しかし2000年代以後も私たちがデモ現場に投入されることは続いた。人々は賃金の引き上げを要求するために、米国牛肉輸入反対のために、自由貿易協定(FTA)反対のために広場に集まった。2008年BSE(牛海綿状脳症)ろうそくデモの時に私たちは光化門(クァンファムン)に鶏舎車で車壁を作ってデモ隊を全身で防がなければならなかった。

一部のデモ隊は火炎瓶の代わりに鉄パイプや竹槍を使った。下手をすると命が脅威にさらされる状況でも私たちは盾一つで耐えなければならなかった。2006年には「戦警・機動警察の保護者の集い」が結成されデモ隊の暴力性を糾弾もした。しかしこの頃も私たちに向かって鉄パイプを振り回す暴力デモ隊は消えなかった。戦警という名前が歴史の中に消える今日、「戦警=加害者」「デモ隊=被害者」という等式も共に消えることができるだろうか。

◆32万9266人服務…最後の期が転役

42年間、戦警は韓国現代史の重要な場面ごとに欠かさなかった。時々私たちは民主勢力を弾圧する公共の敵のようにあらわれた。だが、それは法秩序の守護という私たちの使命を忠実に履行する過程で広がった不祥事であった。私たちがしてきた役割は、義務警察巡査(機動警察)と職業警察に渡る。軍に入隊して選び出された戦警と違い、機動警察は初めから警察に志願して21カ月間義務服務する。機動警察はこの頃、警察公務員就職に有利だという理由などで若者の間で人気だという。

私たちは、軍隊から選び出されて警官服を着て、除隊して軍服を再び着た。軍人も警察でもない不明瞭な身分。しかし私たちの所属がどこであったのかは重要ではないのかも分からない。この日最後の戦警転役式でイ・ソンハン警察庁長官が話した。「戦闘警察隊員は国家のために、活気盛んな青春を捧げました」。大韓民国の戦警42年。私たちの盛んな栄辱の歴史が裏舞台から消えていった。


デモ鎮圧첂象徴、戦闘警察が42年の歴史閉じる=韓国(1)

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP