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【時視各角】君のせい、私のせい、船長のせい=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.04.24 10:22
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21日の出勤途中。家の前のカーブ道を回るやいなや、真っ赤な棒を振り回すガードマンが目に映る。驚いて急ブレーキを踏んで車線を変えなければならなかった。ガードマンは、体で工事現場の表示板の役割をする。これほどになると事故を防ぐのではなく、むしろ誘発さえしなければ大いなる幸いだ。こうした工事現場が1日や2日、1回2回ではない。そのたびに米国の道路を思い出す。高速道路を走っていると車道を防ぐ「カラーコーン」が1つ2つ現れる。ところが行けども行けども工事現場が見えない。2、3キロ走ったところで初めて大型トラックと作業員3、4人が現れる。「どんなにすごい工事でこれほど大げさなのか」とチラッと見れば大したものではない。たいてい穴を1つ埋める程度のささいな工事だ。

22日午後3時、西小門(ソソムン)路。地下鉄2号線9番出口前の歩道で30分見守った。27台のバイクが歩道を疾走していった。10台は踏切を渡っていったが、全てバイクに乗ったままだった。降りて引っ張っていった人はいなかった。歩道を行く歩行者に、警笛を鳴らしたりライトを点滅させたりするバイクもいる。誰1人として抗議どころか、体を避けることに汲々としている。それだけ市民が安全不感症の違法バイクに飼い慣らされたということだろう。

どこが安全だけだろうか。生活の中のどこにでも別の300件がある。割り込み、乱暴運転、暴言のようなものだ。ここには犠牲や配慮が割り込む余裕はない。こうしたものが安全不感症と一緒になれば何になるだろうか。それがまさにセウォル号だと私は考える。第2のセウォル号をなくすなら、こうした生活の中の300件からなくさなければならない。

 
最後に、ことわざを紹介したい。とても有名なインディアンのことわざだ。「人の胸中には優しいオオカミと悪いオオカミがいる。2匹のオオカミはいつも戦っている。勝つ側はどちらか。私がエサを与えた側だ」。オオカミをセウォル号船長と故パク・ジヨン乗務員に変えてみる。私は誰にエサを与えているだろうか。船長オオカミなのか、乗務員オオカミなのか。自信がない。私は、韓国社会は、ひょっとしてとても長い間、船長オオカミにだけエサを与えてきたのではないだろうか。

イ・ジョンジェ論説委員・経済研究所研究委員


【時視各角】君のせい、私のせい、船長のせい=韓国(1)

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