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20歳のキム・ヨナ、自伝を出版(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.01.26 13:12
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「20歳のキム・ヨナ、その情熱と挑戦の記録」というサブタイトルの金妍児(キム・ヨナ、20、高麗大)の自伝が28日に出版される。

 
バンクーバー冬季五輪の開幕を控えて中央出版社が制作した同書のタイトルは「キム・ヨナの7分のドラマ」だ。中央日報は同書の原本を単独で入手、主な内容を事前公開する。

中古のスケート靴に足首を鍛えられた



満で5歳のとき、両親・姉とともに果川(クァチョン)の室内スケートリンクを訪ねた私は、初めてスケート靴を履いた。初めて氷上に踏み出すやいなや滑り、転ぶのを恐れる気持ちから胸がドキドキした。震える気持ちが徐々に消えると、スケートリンクは新世界となった。

初めてフィギュアスケートに接したあの夏、母は休みに、果川のアイスリンクでフィギュアスケートの特別レッスンを受けさせてくれた。短い講習期間から大半の子どもがスケート靴をレンタルしていたが、私はマイスケート靴を持っていた。黄色いひものついた真っ赤なスケート靴。おばが、近所の人が捨てようとしたものが、私の足のサイズに合うといって、持ってきてくれたものだった。

私の初めてのスケート靴は紙のように薄く柔らかいため、ただ足を包むだけのものにすぎなかった。選手向けのスケート靴は足首を保護するため固く作られている。おかげで足が痛むことはないが、靴が足首を支えることができず、ひたすら自分の足の力で耐えながら滑らなければならなかった。母は時々、最初の薄いスケート靴が私をいち早く優秀な選手に鍛えあげてくれたのだと冗談交じりで話す。

「ヨナをサポートできる状況ですか」

「ヨナはあんよも早かったけど、スケートもうまいね」。私は生後8カ月から歩けるようになった。通常、赤ん坊は1歳になるころ歩き始めるという。時々親類が集まると、当時から私の運動神経が抜群だったと楽しげに話すこともある。フィギュアスケートの特別レッスンが終わると、母は姉と私を再びマスタークラスに登録してくれた。

マスタークラスが終わるころ、私を教えたリュ・ジョンヒョンコーチが突然母に相談を持ちかけた。「ヨナには才能がある」。そしてコーチは次のように話した。「フィギュアスケートはお金がたくさんかかるスポーツだが、サポートできる状況か」。母はやむなく決定を下した。姉はマスタークラスを最後にフィギュアスケートをやめ、私は本格的に選手としての道を歩むため個人レッスンを受けはじめた。




20歳のキム・ヨナ、自伝を出版(2)

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