주요 기사 바로가기

【コラム】奴隷国家と北核、そしてTHAAD=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.07.22 17:21
0
今月初め、北朝鮮と向かい合う中国の東北境界地帯に行ってきた。鴨緑江(アムノッカン)と豆満江(トゥマンガン)に沿って5泊6日で1750キロを行く旅程だった。この地域は北朝鮮の拉致の憂慮で韓国政府が旅行自粛命令を出した地域だ。それでも朝中境界隣接地の踏査に出たのは青年・大学生に北側の地と住民の生活をありのままに見せようという判断からだ。

中央日報が主管した20・30世代の統一プログラム「青年オディセイ」に参加した青年・大学生23人が共に出発した。彼らが最初に出会ったのは分断の冷酷さだ。北朝鮮の咸鏡北道穏城郡(ハムギョンブクド・オンソングン)と中国をつなぐ長さ320メートルの図們大橋は「戻れぬ橋」だった。北朝鮮の地を一度踏んでみたいと中国警備兵の目を避けて片足を境界線の向こう側でそっと差し出してみる若者たちが気の毒なほどだった。

 
鴨緑江下流の水豊(スプン)ダムで船を借りて乗って1時間ほど見て回った北朝鮮の朔州郡(サクチュグン)もそうだった。望遠レンズには北の同胞たちの疲弊した生活がとらえられた。草を食べる牛はやせこけてあばら骨を見せ、小学生たちは食い荒らされた段々畑に動員されて農作業をしていた。挨拶をして大声を出してみても肯定的な返事はなかった。腕を上げてハート形をずっと作っていたある女子大生は「まるで片思いをしている感じのようで心がふるえる」と話していた。

朝中の国境は果てしなく鉄条網が続いていた。現地の関係者は「金正恩(キム・ジョンウン)執権5年間で1400キロの辺境地域に脱北が困難な特殊構造の鉄条網が張られた」と明かした。北側の江岸には高圧線で補強された様子も目についた。長白県と向き合った北朝鮮の恵山市(ヘサンシ)はその絶頂だった。朝鮮族の要人は「人民を飢えさせて行き来も出来なくするあそこは、まさに監獄」となげいた。

一時は北朝鮮の公安要員が中国まで越境してきて脱北者の手を針金で貫通させた後に連行していったもしていたという説明に、学生たちは驚いていた。「3分以内で朝鮮到着」という表示板について同行していたカン・ドンワン釜山(プサン)ハナセンター長(東亜大学教授)は「北へ送還された脱北者たちはあのハングルの案内板を見てあまりの恐怖に涙を流した。私たちはあまりにも黙って過ぎ去っているのではないか」と言葉を濁した。学生たちも涙をこぼし、白頭山(ペクトゥサン)登頂と安重根(アン・ジュングン)義士が殉国した旅順の監獄を見て回る歴史・文化探訪の日程でも北朝鮮人権は話題になった。


【コラム】奴隷国家と北核、そしてTHAAD=韓国(2)

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP