【コラム】試験台に乗せられた大韓民国の“復原力”(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.05.21 10:27
京畿道坡州(キョンギド・パジュ)からソウルに向かう第2自由路には霧が厚く立ちこめていた。午前8時30分ほどだったか。習慣のようにつけていたカーラジオから耳慣れた旋律が流れ出た。アルボ・ペルトの『鏡の中の鏡』だった。ピアノとバイオリンだけでゆっくりと弱々しく続く曲を聞きながら、外の風景とぴったりだと考えた。
会社に到着して何人かの知人にSNSカカオトークで曲を回した。「きょうみたいな天気に聞くのにいい曲」として。4月16日の朝だった。しばらくしてテレビでセウォル号沈没事故のニュースが放映され始めた。唖然とした。ペルトの悲しい音楽が何か前奏だったとでもいうのか。偶然にもペルトの祖国は20年前に850人余りが死亡したエストニア号沈没事故を経験したエストニアだった。
今後その曲が聞こえる度にうなされたような自責感が訪れるだろう。変わりのない自分の日常が申し訳ないからだ。この前会ったある退職公職者は、「道やバスで若い子どもたちを見る度に目頭が熱くなり困る」と告白した。60代半ばの彼は、「年金を受け取るということがこれほど恥ずかしいのは初めて」とも話した。犠牲者の遺族はもちろん、同じ年ごろの子どもを持つ母親の心情はまたどうだろうか。大韓民国すべての市民の胸に大きな穴があいた。