<サッカー>朴主永、ブラジルW杯に合流?…運命のギリシャ戦(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.03.05 11:23
2年前のロンドン五輪当時も洪監督は結局、朴主永を代表チームに呼んだ。兵役逃れという批判を正面から突破するため、朴主永を連れて記者会見に現れた。洪監督は「選手がフィールド内外で苦しんでいる時は一緒にしなければいけない。チームのための場だと考え、恥を捨てて一緒に出てきた」と述べた。「朴主永が軍隊に行かないといえば私が行く」という冗談も言った。朴主永が必ず解決しなければならない問題だったが、洪監督が動いて解決した。朴主永は日本とのロンドン五輪3位決定戦で先制決勝ゴールを決め、洪監督に報いた。
実際、2010広州アジア競技大会でも洪監督は朴主永を苦労して抜てきした。当時、朴主永はASモナコ(フランス)で活躍し、球団側が朴主永のアジア競技大会参加に応じようとしなかった。洪監督はASモナコの団長を訪ねて説得し、朴主永を連れてきた。そして銅メダルを首にかけた。2年周期で洪監督と朴主永の同行が続いているのだ。
今回も朴主永を呼ぶまで難関が多かった。洪監督は就任後、「所属チームで活躍してこそ代表チームに呼ぶ」という原則を守ってきた。アーセナルで交代メンバーにも含まれない朴主永を連れてくる名分がなかった。洪監督はインタビューで、「朴主永が冬の間にチームを移り、試合に出場してこそ、代表チームに呼ぶことができる」と述べ、移籍を間接的に要求した。朴主永は1月の移籍市場締切日にワトフォードに移籍したが、ひざのけがのためしばらく欠場した。これ以上遅れれば朴主永をテストする機会がないと判断した洪監督は結局、自分の大原則まで破って朴主永を抜てきした。