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【コラム】チェ・ジンシルさん、申し訳ない…

2008.10.03 10:49
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 昨日の朝、ちょうど出勤しようとしていたところ、知り合いが電話で情報を知らせてきた。「タレントのチェ・ジンシルさんが自殺したらしい。すでに119救急隊が行ったようだ」…。

しばらくの間、ぼうっとしていた。信じられなかったが事実のようだった。いくつか情報を追加で確認してから、新聞社の事件担当記者に急いで連絡を取った。ニュース専門のケーブルテレビでもまだ報道されていなかった。記者という職業の卑しい属性のためだろうか、その渦中にも「うまく行けば電子版は特ダネになるかも」という期待感まで頭をよぎった。

 
初めて出演したドラマ『朝鮮(チョソン)王朝500年』で台詞もない宮中の侍女役を演じたチェ・ジンシルさんだ。ほかの俳優より濃い化粧で出演し、プロデューサーからひどく怒鳴られたという。

「おい、小さい侍女さん。君は明洞(ミョンドン)から来た侍女か?いったいどういう扮装してるんだ!君は下がっていて、後で王女が部屋に入るときにうずくまった姿勢で戸を開ければいいんだよ。顔を見せちゃダメなんだ」(自伝『シンデレラはない』)。

多くの人々がそうであるように、チェ・ジンシルに対する私の記憶も「男は女しだいよ!」という、某電子メーカーのVCR広告(1989年)の台詞から始まる。

フェミニストには不愉快だっただろうが、「男は女しだいよ」という台詞は、この地の普通の男性を慰め、励ます効果は大きかった。歌の歌詞にすればシム・スボンの『愛しか私は知らない』に相当すると、私は考える。

ある文化評論家は、経済的に非常に厳しい状況で育った彼女の成長背景、つまり「スジェビの美学」(訳注:スジェビは日本の水団に相当。チェ・ジンシルさんは家庭の経済事情が厳しく成長期にスジェビを主食として食べていたという逸話から)がわれわれの世代には大きなアピールになった、と分析した。結果的に韓国資本主義の支配的なイデオロギー、とりわけ家父長的なイデオロギーを強めることに、チェ・ジンシルが寄与したということだ。

しかし、いくらイデオロギー、家父長などといったメスをチェ・ジンシルに入れても、私には通じなかった。好きなものはただ好きなのだ。元マネジャー殺害事件、趙成珉(チョ・ソンミン)さんとの離婚――など諸事件が続いたものの、私はそれよりも「チェ・ジンシルさんらしい」明るいニュースに注目した。「貯蓄の日」(毎年10月の最終週の火曜日)に大統領の表彰を受けるほどの勤倹節約、親のいない家庭と大学に数千万ウォン(約数百万円)ずつ寄付する善行、離婚後に子どもの姓を自身の姓に変更する堂々とした態度とたくましさにいたるまで…。

デビュー初期の可愛らしいイメージから、成熟して独立的な女性、母親のイメージに発展するチェ・ジンシルさんだったから、同時代を生きていることをうれしく感じることもあった。

しかし昨日の朝、そのイメージは壊れた。自殺が事実なら、うつ病が事実なら、彼女はどこか暗い深淵の中をさ迷っていたのだ。深い心の傷を治癒できず、苦しんでいたのだ。

私は自殺について否定的だが、自殺行為そのものは勝手に説明したり断定するのが難しいというのを知っている。「自殺は苦しい人生の頂点ではなく、われわれの精神と意識を乗りこえる未知の場所から出てくるもの」(アンドリュー・ソロモン著『真昼の悪魔-うつの解剖学』)というから。

確実なのは、私の知る「チェ・ジンシルらしさ」は表面的な姿だったという点だ。だからチェ・ジンシルさんに申し訳ない。あれほど苦痛の深淵をさ迷っていたことも知らず、表向きのイメージだけを受け入れ、漫画の主人公のようにひたすら幸せなものと思い、幸せでなければならない人と思い込んできたのだから本当に申し訳ない。

私はチェ・ジンシルさんがいつかはオードリー・ヘップバーンのような博愛主義者の女優に生まれ変わると信じていた。ベテラン女優キム・ヘジャさんのように年を取っていくものと考えていた。少なくとも演技派の中堅女優キム・スミのように、「麻婆島(マパド)」(キム・スミさんが助演してヒットした映画のタイトル)を闊歩(かっぽ)しながら「家門の栄光」(同じくキム・スミさんが助演してヒットした映画のタイトル)を叫び、年齢を感じさせない人になると思っていた。

わずか四十にしてこれほど厳しい状況で生きているとは全く知らなかった。もう一つ申し訳ないことがある。自殺の伝染性を考慮してでも、私は今後これ以上チェ・ジンシルさんに言及したり、追慕するのをやめようと思っている。チェ・ジンシルさんは去ってしまったが、もう一人のチェ・ジンシルを助長してはいけないという思いからだ。

すでにアン・ジェファンさんの死去以降、数人の「被害者」が出ている。チェ・ジンシルさんもその中の一人かもしれない。チェ・ジンシルさんがもっと早くこの世の中に向かって「私は本当に苦しい」と叫ぶことはできなかっただろうか。「人生は自分しだいよ!」と堂々と叫ぶことはできなかったのだろうか。

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