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金君子さん、旧日本軍慰安婦の惨状を世界に知らせて死去

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.07.24 07:47
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「(日本帝国主義に)踏みにじられた(慰安婦被害女性の)人生が哀れで、悔しい。生きている間に(日本政府の公式)謝罪を受けたい」。

旧日本軍慰安婦被害者の一人、金君子(キム・クンジャ)さんが普段から口癖のように話していた言葉だ。金さんはこのような生涯の望みを胸に抱えたまま23日午前8時4分、京畿道広州(クァンジュ)にある慰安婦被害者のための施設「ナヌムの家」で息を引き取った。89歳だった。

 
キムさんは前日(22日)まで普段と変わらない生活をしていたという。体が不自由なため車椅子に乗っていたが、ナヌムの家で一緒に生活する慰安婦被害者と対話し、テレビも視聴していた。突然の死に「ナヌムの家」は悲しみに包まれた。

金さんは1926年に江原道平昌(ピョンチャン)で3人姉妹の長女として生まれた。幼い頃に両親と死別した金さんは第2次世界大戦中だった1942年、中国吉林省琿春の慰安所に強制動員された。当時17歳だった。

旧日本軍の「性奴隷」から抜け出そうと何度か脱出を試みたが失敗し、そのたびに暴行を受けた。その後遺症で左耳が聞こえない障害を抱えながら暮らした。強制動員期間は何度か極端な選択もした。

光復(解放)を迎えると夢に見た故郷の地を踏むことができた。しかし婚約者など愛する人たちを順に亡くした金さんは1998年から「ナヌムの家」で生活した。

金さんは米議会の公聴会で過酷な過去の経験を生々しく証言し、旧日本軍慰安婦の惨状を世界に知らせた。金さんは2007年2月、マイク・ホンダ米連邦下院が主催した米国議会の旧日本軍慰安婦公聴会に出席し、「慰安所では一日に40人ほどを相手にし、死なない程度に殴られた」と証言した。

金さんは寄付でもよく知られていた。韓国政府から普段受けている生活支援金を貯め、「私のように親がいない学生が勉強できるよう使ってほしい」として寄付を繰り返した。日本政府から公式謝罪とともに正当な賠償を受ければこれも社会に寄付する計画だった。日本政府が拠出した「和解治癒財団」の治癒金受領は拒否した。

金さんは毎月200万ウォン(約20万円)ほどの政府支援生活費などが貯まると、美しい財団に1億ウォン、ナヌムの家に1000万ウォン、テチョン聖堂に1億5000万ウォンなどを寄付した。また毎週「水曜集会」に参加して慰安婦の実状を知らせることにも率先した。

金さんは文在寅(ムン・ジェイン)大統領の当選を誰よりも喜んだという。2015年12月31日当時に共に民主党の代表だった文大統領が韓日慰安婦合意後、慰安婦被害者を慰めに訪問したのが縁だ。金さんは法的責任を認めない日本政府を批判した文大統領の発言を聞き、「最高」という意味で親指を立てた。

金さんの葬儀は京畿道城南市盆唐区(プンダング)のチャ病院地下1階の特室で営まれている。康京和(カン・ギョンファ)外交部長官はこの日晩、金さんの葬儀に参列した。外交部の当局者は「長官就任後に最初に亡くなられた慰安婦被害者であり、康長官が候補者だった先月『ナヌムの家』を訪問した時に会った縁もあり、弔問した」と話した。

出棺は25日、墓地はナヌムの家追慕公園。金さんの死去で政府に登録された旧日本軍慰安婦被害者238人のうち生存者は37人となった。

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