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【時視各角】口止めさせる韓国社会(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.01.16 10:47
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時々訪ねるそば屋の真ん中に機械一つが置かれた。メニュー画面を押して食べ物を注文して支払う自販機だ。最近はそれほど見慣れない風景でもないが、番号札を受けて席に座っても何となく寂しさを感じる。「もう少し辛く、少し塩辛く」とさらに注文することが不可能になったからだろう。台所に向かって「21番は少し薄めにしてください」と叫ぶこともできるだろうが、なんとなく恥ずかしくて口を開けない。高価な料理ではないとしても型にはまった味のファーストフードでもないのに、悔しい気もする。もう選択肢は2つだけだ。他のそば屋に行くか、塩味に慣らされるか。

より大きな問題は病院で体験した。足首を捻られて整形外科に行った。受付で看護師(または、看護補助者)が症状を尋ねるので簡単に答えた。順番になって診療室に入って説明しようとすると、医者が顔を振る。「話す必要ないです。ここに全部書かれているのではないですか。あそこに行ってX線をとりましょう」。患部を聞くつもりもない。どれほど腫れているのか、どこがどれほど痛いのかは知らなくてもかまわないようだ。X線のフィルムを見た医師が話した。「骨折ではないが、動かない方が良いからギブスをしましょう」「もう少し症状が進めばしますね」消炎鎮痛剤を処方されただけで急いで出てきた。

 
2つの事例が一つの原因から出発したと見るのは無理だろうか。最低、賃金の引き上げで雇用人員を減らした影響かも、単に効率性を最大化した結果なのかも、それともただ生産者便宜主義の発露なのかもしれない。だが、2つの事例が招いた結果である心理的心地悪さは同じだ。何か言うべきことが言えないような、意思に反して口止めさせられたような不都合な気持ちだ。

驚くことだ。今日のような「告解社会」で言うべきことが言えないとは。欧州の代表知性と呼ばれる社会学者ジグムント・バウマンが言ったように、「秘密と親交の聖所である懺悔室のマイクが公共広場の拡声器につながっている」のが今日の社会ではなかったか。各種ソーシャルメディアの中で今日自身がどこへ行き、何を食べ、どのような理念を持っていたのか、不特定多数に告白する社会で本来自身に必要な現実的問題は口を閉じなければならないわけだ。


【時視各角】口止めさせる韓国社会(2)

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