【コラム】広開土王碑の憂鬱な真実…日帝改ざん説の全貌を把握すべき(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.08.18 11:39
酒匂の成就は不都合なものだ。だが時代を圧倒した。私は酒匂を探さなければならなかった。彼は九州の宮崎(旧日向国)の出身だ。そこの南側は薩摩(鹿児島)藩領だった。薩摩は明治維新の根拠地だ。長州(山口)藩と共に幕府を打倒した。酒匂は薩摩の覇気で武装した。彼は日本陸軍士官学校の旧1期生出身だ。1877年に砲兵小尉になった。酒匂のつくった地図は米国議会図書館にある。彼の作品は細かい。山東と満州の地形と地物、軍陣地が描かれている。彼の任務は完遂された。拓本は征韓論の根拠として悪用された。彼が作った地図は日清戦争、露日戦争の時に活用された。
私は友人の内田氏(山口明治維新150周年記念会)と酒匂を探した。内田氏は「酒匂は19世紀末、東北アジアの情報・文化戦争で最高の諜報員だった。酒匂は大尉だった1888年12月に天皇(明治天皇)から銅の花瓶を賜った」と語った。彼の話は続く。「参謀本部は密偵に2冊の本を読ませた。1冊はリビングストンの旅行記、もう1冊は吉田松陰の教えが書かれた本だ。松陰は『飛耳長目(遠くまで聞こえる耳と遠くまで見渡せる目を持つべし)』の情報マインドを弟子に注入した」