【コラム】広開土王碑の憂鬱な真実…日帝改ざん説の全貌を把握すべき(1)

【コラム】広開土王碑の憂鬱な真実…日帝改ざん説の全貌を把握すべき(1)

2016年08月18日11時38分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  情報は国力だ。情報は事実収集の情熱だ。それは国の栄辱を分ける。韓日の過去の歴史もそこで分かれた。

  広開土王碑(好太王碑)にもそのような事情が絡んでいる。大王碑は感動的だ。碑石は中国吉林省集安にある。鴨緑江(アムノッカン)に近い満州の地だ。広開土は満州だ。大王の諡号は単純だ。簡明さは破壊力を高める。韓国人観光客は痛快になる。大王碑は詩句を刻んだ柱だ。巨大な碑石はガラスの碑閣に閉じ込められている。中国は高句麗の地位を引き降ろした。碑石は長い歳月を眠っていた。世の中に知られたのは19世紀末。その主役は帝国日本の若い将校だった。その事実で憂うつになる。

  酒匂景信(1850~1891)。彼は大王碑の実質的な発見者だ。酒匂は諜報将校だ。日本陸軍の参謀本部諜報員。1880年に彼は中国(清)に派遣される。北京で1年間中国語の勉強をした。彼の任務は中国北部と満州の測量と地図を描くこと。彼の活躍は疑いと挑発だ。彼は碑文の改ざん説のど真ん中にいる。だが、それは衝撃と刺激だ。彼は東アジアの歴史を激発させた。広開土王の偉大さが再照明された。

  事情はこうだ。満州は清の禁地(出入り禁止の地)であった。1870年代後半そこは開墾地として開けた。農民が大王碑を発見した。1880年代から役人たちは碑石の拓本を作った。1883年酒匂はそこを歩き回った。巨大碑石の発見のニュースは隠密に取り引きされた。酒匂は現場を探れた。彼は碑石の価値を知るようになった。拓本を入手して違法搬出する。1884年それを参謀本部に提出する。日本軍所属の学者たちは碑文を判読した。1888年に分析結果を発表した。その時になって朝鮮は碑石の存在を知った。発表内容は論議と疑惑を生んだ。碑文を任那日本府説と結びつけたという疑いだ。

  歴史の自尊心が傷つけられる。なぜ私たちの過去の知識人たちは碑石を探せなかったか。33歳の密偵になぜ先行獲得されたのか。ユン・ミョンチョル東国(トングク)大学教授の説明はこうだ。「朝鮮時代の龍飛御天歌(朝鮮の建国を讃美した歌)などにその碑の存在が記されている。だが碑石が金(清)国の皇帝と関連したものと推測した」。ユン教授はこのように指摘する。「朝鮮の性理学(儒学の一派)は観念中心だ。事実を粗雑にする。碑石が何か調べてみる考えがなかった」。シン・ボクリョン教授〔元建国(コングク)大学客員教授〕の見解は説得力がある。「古碑を探した者が陸軍中尉だという点は驚くべきことだ。異郷万里の辺境地でそれを探し、それを判読した参謀本部の連中が自分の民族に有利なように碑文を改ざんしたとすれば非難を受けて当然だ。だが、彼らの憂国的な情熱と歴史の傾倒を考えてみなければならない」。

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