【BOOK】いくら食べても飽きない村上春樹の「時間料理」(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.09.01 17:08
村上春樹の多くの小説は『イエスタデイ』の翻案歌詞のように構成されている。不安な明日を前にしてある1つの時期、言ってみれば昨日と一昨日をずっと振り返る話たちだ。誰にでもそんな時期があった。輝いていた時期、ドキドキした瞬間、嫉妬で爆発した瞬間、愛した瞬間、震えた瞬間、新しいことが始まったばかりだということを感じる瞬間…。その瞬間をしっかりと享受できなかった中年たちがイエスタデイを歌い続けている。小説『木野』で、妻の不倫現場を目撃した瞬間すぐに家を飛び出した木野は、しばらく時間が流れた後に、自身が適した時期に傷つくことができなかったということを悟る。「おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかったんだ、と木野は認めた。本物の痛みを感じるべきときに、おれは肝心の感覚を押し殺してしまった。痛切なものを引き受けたくなかったから、真実と正面から向かい合うことを回避し、その結果こうして中身のない虚ろな心を抱き続けることになった」。女のいない男たちというのは、中身のない空っぽの中年で、私たちの内側に長い間生きていた『14歳を永遠に奪われてしまった』男たちだ。
私たちは小説の中の時間の中で、現実の時間を学ぶことができる。小説であらかじめ奪われてみることによって実際には「中身」と「14歳」を守ることができる。俳優の家福は演技が終われば自分自身に戻ると話したが、このように付け加える。「いやでも元に戻る。でも戻ってきたときは、前とは少しだけ立ち位置が違っている。それがルールなんだ。完全に前と同じということはあり得ない」。それは時間のルールでもあり、芸術の魔術でもある。