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「最後の3金」金鍾泌元首相が死去 92歳=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.06.23 12:17
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金鍾泌(キム・ジョンピル)元首相が23日、死去した。92歳だった。

金元首相はこの日朝、ソウル新堂洞(シンダンドン)の自宅で呼吸困難に陥り、秘書陣により順天郷(スンチョンヒャン)病院の救急室に運ばれたが、まもなく死亡が確認された。金元首相はこの1カ月間、老衰のため食事がまともにできない状態だったと、側近は伝えた。葬儀はソウル峨山(アサン)病院で営まれる。出棺は27日で、忠清南道扶余(プヨ)の家族の墓に埋葬される。

 
金元首相は1926年に扶余で生まれ、大田(テジョン)師範学校とソウル大師範大を通い、1948年に陸軍士官学校に入って韓国戦争(朝鮮戦争)に参戦した。1951年に朴正熙(パク・ジョンヒ)元大統領のめいの朴栄玉(パク・ヨンオク)氏と結婚し、1961年に5・16軍事クーデターに中心人物として参加した。

軍事政権の樹立後、初代中央情報部長(1961年)と民主共和党議長(1963年)を務め、1971年に第11代首相に就任した。かつては朴正熙政権のナンバー2と呼ばれたが、1980年に第5共和国に入って政界から追放された。

1987年に新民主共和党を結成して政界に復帰し、1990年の3党合同で民主自由党の最高委員を務めた。金元首相は1995年に金泳三(キム・ヨンサム)元大統領と決別して自民連を結成、1996年の総選挙で忠清(チュンチョン)圏を席巻した金元首相は、1997年に金大中(キム・デジュン)元大統領と連合を結成し、初めて民主的政権交代を達成した。1998年に第31代首相を務めたが、2001年に林東源(イム・ドンウォン)統一部長官解任案問題で金大中政権と手を切った。

金元首相は2004年の総選挙で自民連が惨敗すると政界引退を宣言した。2008年に脳梗塞で倒れた後、健康状態が悪化したが、2015年に朴栄玉夫人が先に死去した。

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