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6600億円で…「日本の自尊心」シャープ、台湾鴻海が飲み込んだ(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.02.26 10:41
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シャープはどんな会社なのか。日本の電子製品の歴史を刻んできた技術企業だ。サムスンが半導体事業に進出する時に技術を一部伝授してくれたのもシャープだった。このような企業を買収すれば一気に電子業界の寵児に上ることができる。

シャープの始まりは1912年にさかのぼる。シャープは小学校を2年しか通えなかった創業者・早川徳次の手によって生まれた。

 
8歳から金属職人の下で働いた早川は、穴なしにベルトを締めることができるバックルを考案して会社をおこした。創業3年で機械式鉛筆「シャープ」を作ったのも彼であった。今、慣習的に指し示す「シャープペン」がこの時に生まれた。

関東大震災(1923年)で工場が焼失しながらシャープの革新は危機を迎えた。早川は当時、日本文具製造に会社を移して大阪に再び会社を構えた。大阪の心斎橋の商店から買ってきた外国製ラジオを分解してラジオづくりに挑戦した。日本でもまもなくラジオ放送が始まるだろうという理由だった。

市場を先んじて準備した彼の計算はぴったりと合った。日本初のラジオは海外にまで売れた。太平洋戦争で2回の危機を迎えたがシャープは起死回生した。1951年に韓国戦争(朝鮮戦争)が勃発してラジオの海外需要が増えた。

早川はラジオに続きテレビ放送開始(1953年)前にテレビを出した。日本初のテレビでNHKが試験放送をした。カラーテレビ(1960年)に続き世界初のLCDテレビ(1987年)まで主要技術の革新はシャープから出た。

シャープの自尊心にひびが入り始めたのは2000年代初めだ。ブラウン管テレビからLCDテレビに市場がいち早く移ると、競争者だったサムスンとLGが大型LCDの生産にお金を注ぎ込んだ。サムスン電子は直接作ったLCDをベースにボルドーテレビを作り、2006年にソニーとシャープを抜いて世界1位に上がった。

テレビ市場が完全にLCDテレビに移ると危機が訪れた。相対的に中小型LCDに集中していたシャープは打撃を受けた。日本政府がデジタルテレビの購入に与えた補助金を切るとシャープの日本国内の売り上げは4分の1になった。

日本政府は市場停滞で危機を迎えたLCD産業を興すために2012年4月、ジャパンディスプレイ(JDI)をつくった。東芝・日立・ソニーの中小型LCD事業をまとめた。シャープにも合流を提案した。シャープは断った。独自生存を宣言した。

だがサムスン・LGなど競争企業に追いつくことができなかった。赤字は続いた。ブルームバーグが推算した昨年の営業損失額は1284億円。赤字に耐えられなかったシャープは昨年海外テレビ事業の撤退と90年以上になる本社社屋の売却、社員3500人のリストラ案を発表した。


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