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「マラソンスター」孫基禎さんが死去

2002.11.15 14:24
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15日、90歳で他界した孫基禎(ソン・キジョン)さんは、暗鬱だった韓国現代史20世紀前半の韓民族に最も大きな希望を与えてくれた「体育人」だ。

彼はマラソンで初めて2時間30分の壁を破った世界的な英雄だった。また韓国運動選手の精神的支柱として、国民の愛と尊敬を一身に受けた。

 
孫基禎さんは1912年5月29日、平安北道新義州(ピョンアンブクド・シンウィジュ)で、雑貨屋を経営する孫仁碩(ソン・インソック)さんと金福女(キム・ボクニョ)さんの間に3男1女の末っ子として生まれた。

孫基禎さんの素質は子供の頃から現れていた。若竹普通小学校6年の時、新義州(シンウィジュ)と満州安東(アンドン)間を走る5000メートルの安義陸上競技大会で成人選手らを抑えて優勝、周囲を驚かせた。

35年日本で行われたベルリンオリンピック(五輪)最終予選競技で優勝した孫さんは、翌年の36年8月9日、ベルリン五輪で20世紀の韓国史に一線を引く快挙を成し遂げた。

「五輪の花」とよばれるマラソンに出場した孫さんは、ベルリン五輪スタジアムからビスマルク丘を越えてハペン河に続く42.195キロのコースで、世界のマラソンランナー56人を相手にしながら、2時間29分19秒という当時最高記録で優勝した。

韓国の言論人、李吉用(イ・キルヨン)氏は、表彰台に立つ孫さんの胸にあった日の丸を塗りつぶして新聞に掲載し、いわゆる「強圧統治」の厳しかった時代に再び民族魂を呼び起こす「日の丸抹殺事件」に発展した。

45年の解放以降、孫さんは韓国スポーツの精神的支柱として後輩らの尊敬を受けた。66年には大韓オリンピック委員会(KOC)常任委員、第5回アジア競技大会の韓国代表選手団長として活躍したほか、81年9月にはスイス・バーデンバーデンで、88年ソウル五輪の誘致の際には使節団の一員として活躍した。

孫さんはその後も後輩の世話をしていたが、昨年から慢性腎不全症などの持病により健康が悪化した。

何度も病院を行き来していた孫さんは13日、肺炎による呼吸障害で危篤状態となり、三星(サムソン)ソウル病院に入院したが、15日0時40分、彼が走ってきた後戻りできない人生のマラソンを終えた。

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