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【噴水台】記憶される都市=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.04.19 16:07
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フランス・パリのノートルダム大聖堂前広場には観光客の「フォトスポット」がある。「ポイントゼロ(Point zero des routes de France)」と呼ばれる方位が書かれた円形の銅版だが、フランスのすべての道路の基準点になる「道路元標」だ。ノートルダム大聖堂を訪れる観光客はここで2つの鐘塔をバックに写真を撮る。ポイントゼロを踏めばパリに帰ってくるという俗説もある。

光化門(クァンファムン)十字路の教保(キョボ)ビルディングの前には人々が何気なく行き過ぎる鐘閣が一つある。漢字で「紀念碑殿」と書かれているが、1902年高宗(コジョン)即位40周年を記念して作った「高宗御極四十年称慶記念碑」を保護するために建てられたものだ。その前にはパリのポイントゼロのような道路元標がある。1912年朝鮮総督府が光化門十字路の中央に設置して1935年に道路を整備しながら紀念碑殿の中に移した。全国18都市までの距離を陰刻で刻んである。

 
世界の人々に愛されるポイントゼロとは違い、道路元標は韓国人の関心からも遠ざかった。場所を一度移し、その上に1997年新しい道路元標を作り、対角線の向い側(東和免税店前)世宗路(セジョンノ)派出所前に移した。もちろんこの道路元標を知る者も多くない。

ノートルダム大聖堂火災で世界の人々は悲しみに陥った。大革命時期、宗教の力が弱くなって破壊寸前だった大聖堂は、小説や映画、アニメーション、そして多くの人々の思い出が加わり世界の人々から愛される場所になった。近代の象徴である道路元標とともに「ストーリーのある空間」になったおかげだ。

紀念碑殿前の道路元標が忘れ去られてしまったのは、自分の力で果たせなかった近代化と消えた王朝の歴史が加わったためだ。再開発・再建築の狂風の中に絶えず忘れられるソウルと永遠に記憶されるパリの違いでもある。

イ・ドンヒョン/産業1チーム次長

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