「韓国映画がアジア最高になったのは韓国人の根気のため」(1)

「韓国映画がアジア最高になったのは韓国人の根気のため」(1)

2012年07月13日16時06分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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第11回ニューヨークアジア映画祭で終生功労賞を受賞した鄭昌和(チョン・チャンファ)監督。 右は1972年に鄭監督が制作した「死の五本指」の場面。
  韓国映画の巨匠、鄭昌和(チョン・チャンファ)監督(84)が第11回ニューヨークアジア映画祭(NYAFF、6月29日-7月15日)で終生功労賞を受賞した。 鄭監督は映画「死の五本指」(1972)で、米国にカンフーブームを起こした主人公だ。

   「パルプ・フィックション(Pulp Fiction)」で有名なクエンティン・タランティーノ監督は、映画「キル・ビル」(Kill Bill)で、鄭監督に向けたオマージュ(Hommage、先輩映画人の業績に対する敬意の表示として感銘深いセリフや場面を真似ること)として、「死の五本指」に登場した場面を再演し、音楽も同じものを使用した。

  「韓国アクション映画の創始者」と呼ばれる鄭監督に最近、ニューヨーク・マンハッタンのキタノホテルで会った。

  --昨年のツイ・ハーク(徐克)監督など、主に香港の監督が受賞してきた。韓国の監督では初めての受賞となる。

  「ツイ・ハーク監督は映画界ではずっと後輩だ。 香港で良い作品を作る監督だ。 私の場合、外国人でありながらも香港にスカウトされ、多くの作品を制作した。 私は変わった作品を作ろうと努力し、それなりに香港映画の発展にも寄与したと思っている。 アジア映画の全般に私が寄与したことが認められたようだ」

  香港で制作された鄭監督の作品は大ヒットした。 「死の五本指」は当時、米国のボックスオフィス1位になった。 香港で活動した鄭監督は、70年代後半に朴正煕(パク・ジョンヒ)政権が「韓国映画の発展に寄与してほしい」として招請すると、これに応じた。 制作環境はよくなかったが、後輩たちと情熱を注いだ。 1年半ほど滞在した時だった。 全斗換(チョン・ドゥファン)政権に入り、制作した映画29作品が検閲で10-20分ずつ削除されると、米国へ向けて出国した。 鄭監督の夫人が米国投資移民を申請したのだ。

「韓国映画がアジア最高になったのは韓国人の根気のため」(2)
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