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大古朝鮮か小古朝鮮か、古代史論争が再び激化

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.06.28 08:57
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韓国の古代史をめぐる在野の歴史学界と講壇(大学)の歴史学界の論争が再び激しくなっている様相だ。「殖民史学の批判」を共同目標に掲げた在野史学連合体である「未来に向けた正しい歴史協議会」(略称:未史協、常任代表ホ・ソンクァン元行政自治部長官)が26日にスタートした。講壇の史学界は在野の史学界を「いんちき歴史学」と批判する寄稿を今年2月と5月に雑誌『歴史批評』に載せた。

双方が低劣な表現を動員して攻防を行っている争点は、古朝鮮の大きさの問題に集約することができる。中国の司馬遷が書いた『史記』の「朝鮮列伝」に出てくる朝鮮がまさに古朝鮮だ。当時はそのまま朝鮮と呼ばれていたが後になって李成桂(イ・ソンゲ)の朝鮮が建国しながら区別するために「昔の朝鮮」という意味で古朝鮮だと呼ぶことになった。

 
在野の史学界は「大古朝鮮」を提示し、講壇の史学界では「小古朝鮮」を前面に出す。こうした大きさの差がなかなか狭まらないでいるのだ。

在野の史学界では、古朝鮮の勢力範囲を中国北京の東側と内モンゴルの南側に位置した遼西地域まで広げてみている。日帝強制占領期間の歴史学者であるシン・チェホやチョン・インボ両氏、北朝鮮歴史学者のリ・ジリン氏、韓国のユン・ネヒョン檀国(タングク)大名誉教授らが在野史学の論理を後押ししている。

これとは違い講壇の史学界では古朝鮮の中心地を現在の北朝鮮の平壌(ピョンヤン)の大同江(テドンガン)周辺とみている。在野史学界では、講壇史学の論理が日帝時代の朝鮮史編集会の編修官だったイ・ビョンド元ソウル大学史学科教授(元文教部長官・学術院会長)からその弟子までずっと続いていると主張する。

漢の武帝が衛満朝鮮(衛氏朝鮮)を滅亡させて設置した4つの行政区域である漢四郡がどこにあったのか、また古朝鮮と漢の境界として歴史書物に記録されたバイ水がどの川なのかなど複雑に思われるさまざまな古代史の問題は全て古朝鮮の実体をどのあたりまでみるかによって変わる。漢四郡とバイ水の位置を在野では遼西地方だとみて、講壇では大同江流域だとみているのだ。

未史協が発足することになったきっかけとして東北アジア歴史財団の問題点を取り上げたことも同じ脈絡だ。東北アジア歴史財団がこの8年間に47億ウォンをかけて製作してきた北東アジア歴史地図に楽浪郡をはじめとする漢四郡の位置が日帝殖民史学の論理にしたがって描かれたということだ。また、このような地図を東北アジア歴史財団が米国議会調査局(CRS)に基礎資料として渡したことも批判されている。

古代史をめぐって講壇と在野が争ったのは昨日今日のことではない。光復(解放)後に続いている「長年の論争」だ。在野では「国土は解放されたが、歴史の解放はまだだ」と話す。だが講壇の史学界は「偉大な上古史」の幻想を植えつける恐れがあるとして心配している。「漢四郡の韓半島(朝鮮半島)説=殖民史学」という在野の主張に対してもそうではないと反論する。「漢四郡の韓半島説」は中国の歴史書物、チョン・ヤグヨン氏をはじめとする朝鮮末期の一部の実学者、そして日本人の歴史学者に至るまで長年受け継いできた学説だという話だ。

東北アジア歴史財団は今年に入ってから2回「古代史討論会」を開催した。3月の初めての討論会では楽浪郡の位置問題を扱い、今月21日に開かれた討論会では「古朝鮮と漢の境界、ハイ水はどこなのか」を扱った。在野と講壇の歴史学者が2人ずつ出てきて発表して討論する方式だ。今年はさらに2回開く予定だ。互いにひざを突き合わせ、頻繁に対話をして問題を解決していくこと以外に良い代案はないようだ。

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