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【時論】韓国の未来は修能制度から解放されてこそ(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.07.23 14:24
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万事は人にかかっていた。国家経営もその最高の目標は、国民の人間的資質を育てるということでなければならない。国の興亡盛衰はまさにその国民が発揮する品性と力にかかっているからだ。過去半世紀の間、韓国はほかの人々が認めるほどの輝かしい成長を遂げた。この背景には格別な教育があったということについて異議はないだろう。

ところで今の教育システムによって韓国の未来を備えることができるだろうか。大きく2つにかかっている。最初は創意教育がダメになっている点だ。未来の変化に備えてさまざまな先端分野を導いて世界市場を主導する位置に上がれる抜群の人材を育てなければならない。1990年代以降、20年余りの間に日本は2~3年おきにノーベル科学賞受賞者を輩出している。それ以前までの受賞者数を合わせれば合計19人にもなる。

 
2番目は成績順で医学・法学など特定分野への人材の偏りが激しい。後進的な学閥社会の暗い断面だ。ある分野でも適性と素質を生かして進出すれば、堂々とした人生を享受できる成熟してバランスの取れた社会に変わらなければならない。教育を、従来の社会構造を支える受動的な役割に置くのか、でなければ歪曲された社会改革のテコの役割をさせるのかは私たちが深刻に考えなければいけない重要な問題だ。

こうした教育問題の中心に大学修学能力試験(日本の大学入試センター試験)制度がある。この修能問題の解決法をめぐって韓国社会には教育不通がある。片方では修能を難しく出題しろという。それでこそ学生たちが一生懸命に勉強をして、大学では弁別力ができて学生選抜が容易だということだ。もう一方では修能を簡単に出題しろという。それでこそ学生たちが余裕を持って全人的な発達経験と自分の適性啓発に関心を向けられるということだ。それで教育当局がどちらの方向に修能制度を運営しようが、いつも反対の声が出てくる。

筆者から見れば、どちら側も前に言及した韓国の教育が抱えている根本的な問題に対する解答にはならない。難しい修学能力試験の出題が創意人材の育成を促進するという論理的・実証的根拠はない。その反対も同じだ。1つ明らかなのは、難しい出題であるほど学生たちは試験勉強の圧迫を受けることになり、結果的に人材偏重、専攻分野の派閥づくりが一層悪化するという点は予想できる。修能を簡単に出題するといっても大学が修能点数を入試典型の重要な基準とする限り、修能が教育全般に及ぼす効果は出題を難しくする場合と大きく変わらない。


【時論】韓国の未来は修能制度から解放されてこそ(2)

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