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【取材日記】韓国のチャイナタウン仁川市民の怒り

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.12.16 09:25
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1990年10月、50余年ぶりに仁川(インチョン)と中国山東半島をつなぐ旅客船航路が開設された。当時、仁川は「昔から、天気がよい夜明けには山東半島から鶏の鳴き声が聞こえてきたといわれた」という言葉で歓迎した。

仁川と中国は釜山(プサン)と日本の関係ほど密接だ。青島・天津など中国東海岸の10港と仁川をつなぐ両国のカーフェリーは今でも西海(ソヘ、黄海)上を航海している。こういう環境のため、仁川の人たちは仁川周辺へ外出するよりも中国への外出を気楽に感じている。夜の酒の席では「中国のどこどこに影響力を持つ親しい友人がいる」という自慢話もよく聞かれる。一日700万皿が売れるというチャジャン麺(ジャージャー麺)も100余年前に仁川チャイナタウンで生まれた。ここでは韓国で唯一の「中国語村」も運営される。

 
その仁川市民が怒りを表している。違法操業の中国漁船を取り締まって犠牲になった故イ・チョンホ警査(40)に対し、中国側が最小限の礼儀も見せなかったからだ。政府レベルの謝罪や再発防止約束などという大そうな問題ではない。仁川市民の怒りは「斎場に来て焼香もできないのか」ということだ。

14日、沿岸埠頭の告別式場にも弔問団を送った米国と違って、中国側は‘知らん振り’を続けた。告別式である市民は「最期の場まで背を向けるとは死者に対する礼儀もない国」と憤りを表した。また「悲しむイ警査の夫人と子ども3人を見て、中国が憎いという気になった」とも語った。

中国大使館の関係者らは一度、仁川に来た。13日午後、3人の領事が仁川海洋警察を訪問し、自国の船員と面会し、1時間ほどで帰った。当然、イ警士の斎場に向かうと早合点した取材陣は、慌ててカメラを持って仁荷(イナ)大病院に移動したりもした。

15日、仁川では「285万人仁川市民一同」の名義で糾弾声明が出された。各界各層が集まるセマウル運動評価報告会が中国糾弾大会に変わったのだ。彼らは来週、中国大使館を抗議訪問し、イ・チョンホ警士追悼碑も設置することにした。中国政府は両国間の友好が損なわれないことを望む彼らの切ない気持ちを分かっているのだろうか。

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