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<慰安婦生存者13人証言>数奇な人生、そして勲章(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.08.17 15:35
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居場所がない故郷を離れ、南に向かって寺を訪ね歩いた。「自分があまりにも数奇な運命なので、なぜかと思って寺に行くことが多かった。祈れば分かるかと思って」。金さんは30年間ほど寺を通った後、8年間は新興宗教に身を置いた。そして97年の復活節に洗礼を受けて天主教の信者になった。今まで「ヨハンナ」として生きてきた。

いくつかの宗教を転々としたが、なぜ数奇な運命を持って生まれたのかは分からなかった。生涯、一人で暮らしながら場当たり的に働いた。金さんは「家政婦生活もし、江陵(カンヌン)でパンの商売もし…南加佐洞(ナムガジャドン)で米国製品の商売もし、服を風呂敷で運んで商売をしたりもした。平和市場から物を仕入れて三陟(サムチョク)に売り、そのようにしてうまく行かなければまた家政婦生活をした」と話した。

 
金さんに何が自分を支えてきたのかと尋ねた。しばらく黙っていた金さんはベッドの下の方に数枚重ねたふとんに手を入れて青い箱を取り出した。昨年12月に青瓦台(チョンワデ、大統領府)から受けた「2014国民推薦褒賞」国民勲章(冬柏章)だった。大切にしまっていたのだ。2000年8月に美しい財団に5000万ウォン、2006年に6000万ウォン、昨年は付近の聖堂に1億ウォンを奨学金として寄付した金さんに政府が与えた勲章だ。

金さんは商売をして貯めたお金に毎月支援される政府の補助金をすべて貯めて寄付した。「私は夜学で8カ月しか勉強できなかった。幼い頃に親と死別し、勉強をしていないため、これほど苦労したのではと思って…少しでも勉強していたらこうはならなかったはずだと…貧しくて親がいない子どもが勉強する機会だけでも持てるように助けたかった」。

今まで自分のためにお金を使ったことはないという。98年にナヌムの家に入った後、お金を貯め、そのお金で勉強する子どもを見る楽しみで生きてきたということだ。金さんは「今は何も持っていない。通帳に残っているお金もない。0ウォン」と語った。「頑張って貯めたお金をすべて寄付すれば虚しくないか」という質問に対し、金さんはゆっくりと話を続けた。

「私は父の年齢(51歳で死亡)と母の年齢(29歳で死亡)を合わせた数より10歳も多い。20年前に上の妹が、今年1月には下の妹が亡くなり、私一人だけが残った。あとはもう死ぬ日まで清らかであれば…望むのはそれだけ」。


<慰安婦生存者13人証言>数奇な人生、そして勲章(1)

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    2015.08.17 15:35
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    金君子さんが昨年12月に受けた国民勲章(冬柏章)。
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