韓経:【コラム】ノーベル賞に関する虚言、自己欺まん、そして希望拷問=韓国

韓経:【コラム】ノーベル賞に関する虚言、自己欺まん、そして希望拷問=韓国

2016年11月11日13時03分
[ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版]
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  定められた期日になり、科学に関するコラムを書くべきだが、、国家が危機状況を迎えている。振り返ると、李明博(イ・ミョンバク)政権から急速に退歩した韓国社会の民主主義と、これに代わる退行的な権威主義権力の必然的な帰結だ。

  崔順実(チェ・スンシル)事態以前に戻ると、直前がノーベル賞のシーズンだった。今年は過去とは違いメディアの論調が穏やかで成熟した姿が見られた。日本人の受賞に対する嫉妬を帯びた視線と、なぜ韓国にはまだ受賞者がいないのかというあべこべな叱責が減った。しかし残念ながら韓国社会のノーベル賞に対する理解水準はまだかなり低いようだ。

  今年のノーベル賞関連の報道と論説を整理してみると、依然として2つの重要な誤りがある。まず、わが国が科学に莫大な投資をしたという主張だ。現在の韓国の研究開発費規模を国内総生産(GDP)比でみると、世界最高水準に到達したのは事実だ。しかしこの数年間に限られた話だ。さらにそのほとんどが企業の技術開発投資に該当する。ノーベル賞と関連する基礎科学の場合、政府の投資に依存するが、この比率は絶対的に小さい。

  また、政府の投資のうち実際に基礎科学に投入される部分はまだ少ない。確実な統計資料は得られないが、いくつか公開された資料から推定したところ、日本の基礎科学投資に比べるとまだ3分の1から5分の1水準にすぎない。日本経済と科学技術の黄金期という1980年代後半を基準にすれば20分の1以下と推定される。我々が最近目撃している日本のノーベル賞はほとんどが1970年代末から1990年代に成し遂げられた業績であることに注目する必要がある。この時期の基礎科学に対する投資の総量を日本と比較すると、あきれるような数字が出てくるだろう。我々の経済状況に比べて基礎科学が多くの投資を受けたという考えもあるが、我々が基礎科学にすでに多くの投資をしたという話は真実でない。

  もう一つの誤りは、ノーベル賞は業績ではなく、ノーベル賞受賞者の人物に対する集中から始まる。我々のノーベル賞受賞に関する議論も、我々の周囲にノーベル賞を受賞する科学者が誰であるかに集中することになる。ノーベル賞は高いレベルに到達した科学者に授与する賞ではなく、特定の科学的成果に与える賞だ。我々が関心を持って先に探すべきものは、ノーベル賞を受ける科学者でなく、ノーベル賞を受賞するほどの我々の科学の成果ということだ。しかしまだ韓国の科学界にはすでにノーベル賞を受けた科学的成果に並ぶと世界の学界が称賛する業績がほとんどないというのが科学界の全体的な意見だ。

  これは上で述べた投資総額の問題とわが国の基礎科学投資が実際30年にもならない短い歴史を持つということから容易に理解できる。これという成果がないため、ノーベル賞を受ける科学者を我々の科学界でいま探すというのは不可能だ。ノーベル賞は科学者をそのレベルによって列に並べるわけではないため、「ノーベル賞に最も近い科学者」のようなものもない。したがって今までメディアで取り上げられた「最もノーベル賞に近い科学者」「受賞の可能性が高い科学者」というのはすべて虚言であり、自己欺まんであり、国民に対する「希望拷問」(相手に希望を持たせて苦痛を感じさせること)だ。

  ノーベル賞受賞が可能な水準の独創的な科学成果が作られるまで今後数年から10余年かかるだろう。優れた業績が出てからノーベル賞を受賞するまで平均15年かかるという広く知られた統計に基づくと、韓国のノーベル賞受賞には平均的に20年ほどの時間が必要だ。

  崔順実事態の以前のことだが、未来創造科学部が来年と再来年の基礎研究費、特に個人基礎研究費を大幅に増やすという最近のニュースは非常にうれしいことだ。国の危機の中でもまだ所信と哲学を持つ公務員と政策立案者がいるという信号であり、困難の中でも揺れることなく働く方々に敬意と拍手を送る。

  ヨム・ハンウン浦項工科大学(ポステック)教授・物理学
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