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<インタビュー>核工学者が書き直した李舜臣将軍の「乱中日記」(3)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.09.09 15:35
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--工学徒であるからこそ有利だった点は。

「乱中日記の解釈の過程で地名などを調べる時、科学的シミュレーションモデルを使って明らかにしたことがある。乱中日記で確認されなかった地名が出てくれば、当時の兵士がどこにどのように移動したかをシミュレーションで推定し、相対的に容易に調べることができた」

 
--科学的思考が役に立ったということか。

「そうだ。いくつかの解釈が乱舞する時、科学的な思考が導いてくれた。鳴梁海戦の時、朝鮮の船13隻が倭船およそ130隻、さらに300余隻を撃破したという話が出回ったりもしている。しかし考えてほしい。船1隻が2隻半ほど撃破するというのはあり得る。しかし13隻が約130隻を撃破したというのは非現実的だ。記録に出ている131隻は当時に来た倭船全体を意味する。すべての倭船が李舜臣艦隊に立ち向かったわけではないはずだ。李舜臣がわざわざ狭い鳴梁に敵を引き込んだからだ。結局、李舜臣が倭船31隻を撃破すると、日本の艦隊全体が逃げたと見なければいけない」

--こうした状況をどう見るのか。

「このような誤りが出れば、社会の知識層によって正確に評価されなければいけない。13隻が31隻ほどを撃破したといえば常識的に話になるが、130隻、300隻をどのように撃破するのか。外国人にこのような話をすればすぐに首をかしげるだろう。こうして李舜臣将軍に関する話が信頼を失うことになれば国家的な恥となる」

--乱中日記に13隻が31隻を撃破したと確実に出ているのか。

「そうだ」

--乱中日記で見る李舜臣はどんな人物か。

「日記のあちこちに線が引かれ、暗号のような符号も数多く見られる。日記に出てくる人名を数えると1000人を超える。いくら記憶力がよくてもすべてを記憶するのは容易でない。このため李舜臣はこの人たちを識別するために個人的な特徴を符号を使って細かく記録したと推測される。日記を見ると、『誰々が嘘をつくため捕まえて棍棒で打った』という記録も出てくる。軍隊を統率するには、部下が総司令官にむやみな態度で接すれば大変なことになるという考えを植え付けなければいけない。そのためには部下の嘘にだまされてはならず、そのために緻密な記録が必要となる。乱中日記はそのような機能のためのメモ帳の役割をしたのだろう」

--李舜臣の成功の背景は。

「先ほど指摘したように、李舜臣は非常に緻密な人物であったし、それですべての戦闘で勝つことができた。李舜臣は兵糧が入ってくれば升単位まで計らせた。時には計り直しもさせた。実際に日記には『もう一度計らせた』という内容がいくつか出てくる。量が不足しても許容できるほどの誤差ならそのまま済ませるが、あまりにも不足していればその場で殴った。李舜臣のこうした緻密さが勝利の最も大きな要因だ」

◆崔熙東(チェ・ヒドン)教授

ソウル大原子核工学科を卒業した後、韓国原子力研究所研究員を経て英バーミンガム大で核工学博士学位を取得した。応用核物理学および核計測が専門分野。卒業後は恩師の朴恵一教授と同じく空軍気象将校として服務した。『乱中日記』に出てくる人名・地名にも関心が多く、時には現地踏査もする。これを通じて今まで『乱中日記』に登場する約460カ所の現位置を確認した。現在、ソウル大原子核工学科教授。


<インタビュー>核工学者が書き直した李舜臣将軍の「乱中日記」(1)

<インタビュー>核工学者が書き直した李舜臣将軍の「乱中日記」(2)

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