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【時視各角】日帝強制占領時代の「大権」の使用を禁止すべき(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.11.21 09:49
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権力という言葉が穏当かどうかという点から見てみよう。権力は個人や集団を思いのままに動かすことができる力だ。この言葉は憲法1条に一度だけ登場する。「すべての権力は国民から出る」。一方、権利が及ぶ範囲ないし限界を意味する権限は憲法に11回登場する。権限行使、大統領権限代行、政府の権限、行政各部間の権限…。

銃口からは権力が出てくるが、投票箱からは権限が出てくるだけだ。民主共和国なら大統領であっても公式的には権限というのが正しい。それでも私たちは権力を人格化して偶像として仰ぎ、その前に大という修飾語まで付けている。

 
大権の味に中毒となった韓国の大統領は権力の座に座り、自分の思い通りに世の中を変えようとしたが、失敗を繰り返した。“実勢”腕章をつけた側近だけが甘い汁を吸った。米国の大統領を見てほしい。議会で法案1件を通過させるため、議員の協力を得るために、電話から手を放さない。そばを守るのは側近でなく参謀だ。このため権力には腐敗が伴うが、権限には責任が伴う。これが権力と権限の差だ。

有力候補が主張しているように、今回の大統領選挙を機に帝王的大統領が消えることを期待する。大統領一人の覚悟や努力だけでは難しいことだ。大権という言葉から、根深い時代錯誤からえぐり取らなければならない。仇甫氏は尋ねている。

「大権を話す者、もう一つの天皇を待っているのでは。国をあなたたちが望む方向に向かわせ、憎い奴、嫌な奴をこらしめてくれる万世一系の天皇を」

クォン・ソクチョン論説委員  


【時視各角】日帝強制占領時代の「大権」の使用を禁止すべꮂ(1)

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