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<インタビュー>核工学者が書き直した李舜臣将軍の「乱中日記」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.09.09 15:29
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「不滅の英雄、李舜臣」。2年前に映画「鳴梁(ミョンリャン)」で復活した李舜臣(イ・スンシン)将軍の生涯がテレビドラマに製作され、また我々に近づいてきた。こうした中、李舜臣の人生を驚くほど詳細に書いた『乱中日記』を正確にハングルに翻訳し、これまで誤って伝えられてきた内容を修正した研究書『李舜臣の日記』が、4人の学者、それも歴史とは関係がない核専攻科学者によって出され、注目を集めている。

話題の主人公は2009年に他界した朴恵一(パク・ヘイル)元ソウル大原子核工学科教授、その弟子で同じ学科の崔熙東(チェ・ヒドン)教授、韓国原子力研究所で勤務していたペ・ヨンドク元研究員(死去)、同研究所で勤務中のキム・ミョンソプ研究員の4人だ。4人は1998年に『李舜臣の日記』というタイトルで最初の解釈書を出して以来18年ぶりに、完成度が高い印刷本と評価された『乱中日記草』で140カ所にのぼる誤りを見つけた。なぜ科学者が乱中日記にこだわることになったのか、7日、3人の弟子のうち最年長の崔教授から話を聞いた。

 
--核工学者らが乱中日記を掘り下げることになった背景は。

「恩師の朴恵一教授の影響が大きかった。70年代に大学で朴教授に初めて会った当時、すでに朴教授は亀甲船の研究に没頭していた。亀甲船を正しく知るには李舜臣将軍と乱中日記を必ず研究しなければいけない。朴教授も訓練を受けた学者なので1次史料を重視し、2次、3次資料はあまり信じなかった。それで基本史料である乱中日記の原本研究に集中することになった」

--朴教授はどんな人だったのか。

「ソウル大物理学科出身で韓国戦争(朝鮮戦争)が始まると軍に身を投じて、8-9年間にわたり気象将校として勤務した。除隊してからは研究所でしばらく勤務した後、オーストリアに留学し、ウィーン大学で核物理学を勉強した。原子炉内での中性子測定に関する論文を書いて博士学位を取得したが、専攻だけでなく哲学・歴史にいたる多方面に関心が多い天才的な方だ」

--亀甲船研究に寄与したことがあるのか。

「朴教授は亀甲船が鉄甲船だったと主張し、その根拠を提示した。それ以前から亀甲船に鉄甲がかぶされたという話はあった。しかし文献上の証拠がなかったというのが問題だった。鉄甲船説を信じていた朴教授もこの問題について悩んだという。ところがある日、鎮海(チンヘ)で討論会を終えた後、ソウル駅に降りて帰宅する朴教授が、南大門(ナムデムン、崇礼門)の門が薄い鉄板で覆われているのを発見し、ここからヒントを得た。これが亀甲船に使われた鉄甲の原形であるかもしれないという理論を立てることができた。朴教授は結局、こうした主張の論文を79年当時に始まった科学史学会学術誌の創刊号に掲載した」

--崔教授はどのように合流することになったか。

「当時、朴教授は乱中日記の影印本を持っていたが、状態が非常に悪かった。悩んでいたところ、植民地時代に8年間の作業の末、35年に刊行された『乱中日記草』という資料が存在することを知った。78、79年ごろだったが、長い研究が必要な状況であり、この資料をコピーする仕事をすることになった。この時、どうせなら余裕をもって複写しようという考えで数部をさらに作ったが、このうち1部を受けることになった。考えられない貴重な資料を得ることになったのが、乱中日記の研究にはまるきっかけになった」

--何年間ほど一緒に研究したのか。

「他の後輩の同僚は学位を受けるため、私は軍隊に行くために研究を継続できず、途中に空白があった。それでも80年代に始めたので、すでに30年は超えたようだ。ペ博士は残念ながら2011年にがんで他界した」

--長期間にわたる研究は大変だったのでは。

「核工学者らが乱中日記を研究するというから、周囲に人文学者らを非難する人もいる。『人文学者らは何をしているのか。どうして関係のない人たちが乱中日記を研究するのか』ということだ。しかし自ら好んでする作業だ。すでに始めたことを途中でやめることはできない。特に私は、肺がんで他界した恩師から臨終の前日に電話で『乱中日記をお願いしたい』と、聞き取れないほどの声で頼まれた。やめるわけにはいかないだろう」


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    2016.09.09 15:29
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    他の核工学徒3人とともに『乱中日記』の研究書『李舜臣の日記』を出した崔熙東(チェ・ヒドン)ソウル大原子核工学科教授は7日、「ねじれた歴史的事実は李舜臣将軍に対する信頼を落とすため知識人によって正確に評価されなければいけない」と主張した。
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