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【噴水台】大韓民国国民にアスピリンが必要な理由

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.02.07 13:51
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大韓民国民として生きていくことは真に疲れ、つらいことだ。隣国の極右勢力のわめき声だけでも頭痛がするというのに、良くなったかと思えば出てくる韓国の高官のあきれた発言にはどうしても血圧の薬を探さざるをえない。隣国のどうしようもない輩については育ちが良くないからだとしても、この国の高官は学識高く教養を備えた人々だというのに、どうしてあんな口を持ったのか分からない。

生活の基盤を覆った黒い油に気を揉む漁民の前で「1次被害者は精油会社」という言葉が海洋水産部長官の口から出る。どうしても海に流してしまった高い油がとても惜しいようだ。「初めは大したことではないと思った」という話の次にした話がそれだ。初めはなくした油がかまどに注いだゴマ油程度だと思ったという話と違わない。

 
それでなくとも副首相の言葉に驚いた国民の心に余韻が残っている時ではないのか。そういえば「砂場の真珠」の長官でもやはり副首相よりは一段階下であった。改めて思い出すのも嫌だが、韓国の副首相は失言をしても大言壮語であった。「愚かな人は何か事が起こると責任を問う」と物柔らかに咎めた。カード会社の個人情報が犯罪者の手に渡り、国民が皆パニックに陥っている時であった。途方に暮れている国民は突然、愚かな人となった。「消費者も金融取り引きの際にもう少し慎重になろうという趣旨」という釈明に国民は情報流出の責任までかぶった。

繰り返されるのは失敗ではない。彼らの失言が舌の誤りではないという話だ。

「猩猩(しょうじょう、中国の伝説上の動物)能言」といった。『礼記』に出てくる。舌を操り言葉を話す猩猩でもできるという意だ。それでも猩猩は禽獣にすぎない(不離禽獣)。人が禽獣と異なるのは話の中に人格があるということだ。言葉の「語」の字は「言」と「吾」を合わせた字だ。言葉とは、すなわち話す人の人格だということだ。

公職者の人格は公人意識だ。彼らの頻繁な失言は公人意識の欠如のためだ。公人意識というのは、考えも及ばないような大層なノブレス・オブリージュ(指導層が持つ道徳的義務)を意味しない。ただ公職者自身が自らどれくらい重要な地位にあってどれくらい慎重に対応しなければならないのか分からなければならないという意味だ。自分一人が誤れば国民皆が血を見て、国全体が重い病気にかかるというのを悟らなければならないということだ。ところが、それが分からないから人の口で猩猩が話をして猩猩が歯で国民らを食いちぎる。

公職者の公人意識の欠如は結局のところ任命権者の責任だ。1次責任は含有量未達の人物を席に座らせた過ちで、2次責任は行き過ぎた万機親覧により公職者自ら重要な人物であることを悟らないようにした過ちだ。そうするうちに長官より秘書の声の方が大きくさせた3次責任もある。このすべての過ちの1次被害者は国民で、2次被害者はこの国、大韓民国だ。

イ・フンボム国際部長

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    2014.02.07 13:51
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    イラスト=キム・フェリョン記者。
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