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「14分で1戸」…金日成時代にも建物崩壊事故が茶飯事(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.05.20 11:14
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平壌(ピョンヤン)も大きな悲しみに浸りました。平川(ピョンチョン)区域の新築マンションが崩壊した惨事の衝撃のためです。北朝鮮当局は現場への接近を遮断し、具体的な死傷者規模も明らかにしていません。しかし23階建ての高層マンションの上に、92世帯が入居しており、多ければ数百人規模の人命被害が懸念されるというのが韓国情報当局の判断です。事故発生から4日目の17日、現場で事故責任者が遺族と住民に謝罪する集会が開かれました。

集会場所をぎっしりと埋めた数百人の住民の中には体を起こせず嗚咽する場面もあります。官営メディアではなく平壌駐在外信のAP通信が伝えた数枚の写真を通じて表われたものです。当局が謝罪をするとしながら、家族を失い心の余裕がない遺族にまで列を作らせるパフォーマンスを行ったことは理解できません。人民を圧倒する官の横暴に閉口します。

今回の事故は「平壌版臥牛(ワウ)アパート」と呼べるものです。1970年4月8日午前6時35分、一気に崩壊し33人の命を奪ったソウル・麻浦(マポ)市民アパートとそっくりなためです。夕刊紙として発行されていた中央日報の当時の紙面を見ると、「5階建て市民アパート倒壊」という見出しの1面トップ記事に、原形をとどめていない残骸が見られます。2年かけるべき工事をわずか6カ月で竣工したというので驚きました。取材記者は、「崩壊現場ではコンクリートではなくセメントと砂ぼこりが起こった」と欠陥工事を指摘します。冬季の無理な工事で翌年の春に崩壊したパターンは平壌のマンションと似ています。韓国社会が44年前に経験した近代化の障壁を北朝鮮はいま越えようとしているようです。

 
事実北朝鮮は金日成(キム・イルソン)時代から欠陥工事と戦争をしました。変遷を繰り返したが「速度戦」と名付けられた努力競争運動のためでしょう。起源は「千里馬運動」です。北朝鮮は朝鮮戦争で廃虚になった平壌の復興に集中し、58年には「平壌速度」を提示します。北朝鮮の文献はその時代に7000世帯分の資材と資金、努力により2万世帯余りの住宅を建設する「奇跡的成果」を成し遂げたと宣伝します。「14分で住宅1戸を建設した」という主張です。同じ資材と装備で3倍近い建築をしたということは欠陥工事を行ったという告白も同然です。

労働新聞53年11月21日付には「新たに建てた住宅が傾き壁を柱で支え、復旧した鉄道庁社の屋根が落ち、新設された中学校や住宅などが風雨で崩れることは茶飯事」という記事が登場します。

金日成は62年の演説でこうした「手抜き工事」に対して辛らつな批判を加えました。しかし平壌速度は千里馬運動などとかみ合わさり物量中心に駆け上がります。量と質という2匹のウサギを捕まえるという趣旨は空念仏になったのです。金正日(キム・ジョンイル)時代に入ると「熙川(ヒチョン)速度」が、金正恩(キム・ジョンウン)執権後には「馬息嶺(マシクリョン)速度」が登場しました。

ところで平壌の高層マンション崩壊を批判する記事を書こうとしながら、やましい部分があるというのが率直な心情です。

セウォル号沈没という悲劇のためです。南方に渦巻くセウォル号の痛みに加え、北方にまで手に余る状況が迫りました。こうした状況で北朝鮮の不条理と安全不感症をとがめることにどれだけ説得力があるのかという心配です。

韓国政府も悩んだようです。対北朝鮮情報部署は13日午後に平壌で事故が起きた直後に機密情報を入手し北朝鮮の動向に注目したといいます。ところがメディアに公開するのは負担になったというのが関係者の話です。「セウォル号沈没事故から目をそらさせようとする」などの批判世論が出てくるという懸念でしょう。北朝鮮が5日ぶりの18日午前6時27分に朝鮮中央通信で事故を報道した後に統一部は口を開きました。日曜日の午前なのに韓国政府が緊迫して動いたのはあらかじめ備えていたためといいます。


「14分で1戸」…金日成時代にも建物崩壊事故が茶飯事(2)

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