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【時視各角】潘基文待望論と安哲秀現象=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.11.11 10:08
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安哲秀現象を作ったのは「政治を少し変えられたら…」という願いだった。願いが切実になりながら強い風が吹いた。

しかし風がかなり強く吹いた時、そのエネルギーを、政治を変えるためにまともに使うことができなかった。

 
「87年体制」以後の大韓民国の政治は、いつのまにか「アンシャンレジーム」を思い出させるほどに古くなり、嶺南(ヨンナム)・湖南(ホナム)政治財閥の既得権は、まるで王権神授説を連想させる。

風でなぎ倒すにはあまりに堅固な壁ではあるが、安哲秀は風をこのような旧体制の壁を崩すために使おうとせず、選挙に勝つことだけに使おうとした。野党圏、安議員いずれにも責任がある。

潘基文待望論も、前てつを踏むかもしれない不吉さだ。やはり希望が待望論を作っているけれど、政界は選挙の道具化にすることだけに関心がある。政界「セッティング」を新しくする期間にもかかわらずだ。

この頃、刷新議題があふれている。選挙区制の問題もその1つだ。以前、カン・サムジェという政治家がいた。中選挙区制の1985年1・12総選挙。慶尚南道馬山(キョンサンナムド・マサン)では民正党ウ・ビョンギュ、民主韓国党の金宗俊(キム・ジョンジュン)、新民党カン・サムジェ、ペク・チャンギ候補らが出馬した。新民党だけが2人出馬。実際にそうだった。中選挙区制では「複数公認」が可能だ。選挙法上、選挙区で2人選べば2人以内、1人選べば1人だけを公認できる。複数公認をするのかやめるかは、政党の自由だ。結果はカン・サムジェ1位、ウ・ビョンギュ2位だった。カン・サムジェは非常に珍しい複数公認の当選者であった。新民党の場合、ちょうど2カ所だけ複数公認をした。

中選挙区制は今も存在する。基礎議員を選ぶ時だ。以前、中選挙区制の総選挙時はさまざまな政党が当選者を出したが、今はそうではない。2500人以上の基礎議員を選ぶが、嶺南はセヌリ、湖南は新政治民主連合が独占している。

「複数公認」のためだ。過去とは違い与野党が同時に複数公認をするので基礎議員の場合は、嶺南・湖南の独占構造が崩れていない。「複数公認の廃止」は、そのため正義党のような群小政党の念願だ。複数公認を置くのが正しいかどうかではない。このような懸案が1つや2つではない。

議題ごとに虚しい結末が後に続かないようにするには、一時の名前の後に「現象」という単語がついた安議員も、風にふさわしいことをすべきだ。風の恩恵を少し受けられたらという希望だ。

カン・ミンソク政治部部長待遇


【時視各角】潘基文待望論と安哲秀現象=韓国(1)

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