【コラム】このように廉恥がなくても良いのか=韓国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.10.07 14:38
義務警察志願者が運転練習をして「コーナリングの達人」になれば警察高位職の運転兵になることができるのだろうか。国会安全行政委員会の4日の国政監査で、禹柄宇(ウ・ビョンウ)青瓦台(チョンワデ、大統領府)民情首席の息子をソウル警察庁次長の運転兵に選定した実務者の回答にひっかかりを覚えた。この実務者は「北岳(プガク)スカイウェー走行の時、特にコーナリングがうまかった」とその選抜理由を説明した。だが、年間で義務警察になる1万4000人余りのうち運転がうまいからといってそのような職務に就ける確率は非常に低い。推薦を受けないとテストを受けることができないためだ。この実務者は「(禹首席の息子に対して)誰かの紹介を受けたが長い時間が過ぎていて思い出せない」と話した。
放送とインターネットで生中継されている国政監査だが、このように対応する公職者を見ると廉恥がなさすぎるという印象を受ける。たとえ問題点が露出しても、どうにかやり過ごせればいいといった態度がこの組織をどれほど腐らせるかということを考慮していない姿だ。最近はこのような現象が特に多く見られる。警察の場合、李哲聖(イ・チョルソン)警察庁長が1993年に飲酒運転事故を起こしていたが、警察身分を偽っていたことが人事聴聞会の過程で明るみになった。李庁長は野党側が問題を提起すると「取り調べを受けていた時、恥ずかしさのあまり身分を明らかにすることができず懲戒記録がない」と今になって釈明した。4・13総選挙当時、一部の政党は最近10年以内に飲酒運転摘発記録があれば公認から除外する原則を打ち出すほどだった。飲酒事故の時に身分を偽っても飲酒取り締まりを行う公の組織のトップになれるという政府の判断も廉恥がないのは同じだ。