三一独立運動当時の韓国人犠牲者名簿を初めて公開

三一独立運動当時の韓国人犠牲者名簿を初めて公開

2013年11月20日09時09分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
comment
0
share
このエントリーをはてなブックマークに追加
mixi
写真拡大
三一独立運動犠牲者名簿(忠羅南道天安)には<1>柳寛順烈士の名前と年齢(17歳)、殉国場所(西大門刑務所)などが表示されている。<2>柳重権は柳烈士の父<3>李氏は母・李ソジェと推定される。<4>金求応は天安アウネ市場の万歳運動を主導した人物で現場で死亡した。1991年に独立有功者として叙勲された。<5>崔氏は金求応の母と推定される。<6>趙仁原は民主党大統領候補だった趙炳玉の父で、三一運動で3年刑を受けた(1990年有功者叙勲)。<7>金相元はまだ有功者として叙勲されていない新しい人物。この名簿は家族の申告に基づいて作成されたもので、大韓帝国末期の義兵長が犠牲者として記録されたケースもある。(写真=国家記録院)
  1919年に天安アウネ市場の万歳運動を主導し、獄中で死去した柳寛順(ユ・グァンスン)烈士らの名前が書かれた三一独立運動当時の犠牲者630人の名簿と、1923年の関東大震災当時に殺害された犠牲者の名簿が初めて公開された。これを受け、独立有功者と認められる人が増え、日帝強占期間の被害補償問題も追加で提起されると予想される。

  国家記録院は19日、政府ソウル庁舎で記者説明会を開き、「三一運動時被殺者名簿」(1冊)、「日本震災時被殺者名簿」(1冊)、「日政時被徴用者名簿」(65冊)を公開した。これら名簿は、東京の在日韓国大使館が庁舎を移転する際に見つかった。

  1952年12月に李承晩(イ・スンマン)大統領の指示を受け、翌年、内務部が全国的(韓国)な調査を実施して作成したものだ。国家記録院は「この名簿は53年4月の第2回韓日会談に活用するために日本に送ったと推定される」と明らかにした。

  三一独立運動の名簿には犠牲者630人の名前と年齢、住所、殉国日時と場所、状況などが具体的に記録されている。朴殷植(パク・ウンシク)先生が1920年に著述した『韓国独立運動之血史』では、三一運動で殺害された人を7509人と記録しているが、三一運動で殉国して独立有功者と認められた人は391人にすぎない。

  日本震災時被殺者名簿には、関東大地震当時に殺害された韓国人290人の名簿が記録されている。慶尚南道陜川郡出身のイ・グァンさんの家族は2歳の子どもを含む4人が一緒に日本人に殺害されたことが分かった。関東大震災当時の韓国人犠牲者は少なくとも6000人、ドイツ外務省の資料では約2万人となっている。

  朴景国(パク・ギョングク)国家記録院長は「名簿の犠牲者の数が多くないのは、国内に縁故がいる犠牲者だけを調べたためとみられる」と説明した。

  同時に公開された「日政時被徴用者名簿」には22万9781人の名前が記録されている。これは57年に政府が作成した「倭政時被徴用者名簿」(28万5771人)より4年前のものだ。記録院が慶尚北道慶山地域を分析した結果、ここで徴用されたと記録された4285人のうち約1000人は従来の名簿に名前がない人たちであることが分かった。

  朴院長は「新しい名簿には従来の名簿になかった具体的な記録があり、独立有功者を判定したり、日帝強占期の被害者補償を審議する過程で役立つだろう」と述べた。政府は1975年から日帝強占期下の強制動員被害者の遺族などに補償をしている。
【今日の感想】この記事を読んで・・・
興味深い
悲しい
すっきり
腹立つ
役に立つ

今日のイチオシ記事