【コラム】ノーベル賞が何だというのだ

【コラム】ノーベル賞が何だというのだ

2011年10月10日16時09分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  今年も繰り返してしまった。外信にも海外トピックで紹介されるという韓国の“ノーベル文学賞騒ぎ”のことだ。受賞者が発表された6日夕方、その意思如何に関わらず、毎年のように有力候補に挙げられている詩人・高銀(コ・ウン)氏の京畿道安城(キョンギド・アンソン)の自宅には、新聞記者や放送局の車両が押し寄せた。本紙(中央日報)も例外ではなかった。文化部の後輩記者は少し遅く出発した。ちょうど、詩人の家に到着する前に受賞者が発表された。詩人の自宅はカーナビゲーションでもなかなか見つからなかったという。後輩が不満そうな口ぶりで電話をかけてきた。「引き返します!」

  実は記者は今年、高銀氏の受賞可能性がいつより高いと思っていた。韓国も必ずノーベル文学賞受賞者を輩出しなければならないという愛国心からでもなく、詩人の文学世界に根っから心酔していたからでもない。まず高銀氏が有力だと取り上げて論ぜられることはなかった。例外もあるが、受賞者を決めるスウェーデアカデミーは、たいてい意外な選択で虚を突いきた。アカデミーのペーテル・エングルンドの発言は、人々をさらに迷わせた。「最近、受賞した10人のうち7人が欧州出身ということで偏りが深刻なので、非欧州言語圏の専門家を動員して才能ある作家を探している」「今まで英語圏から最も多くの受賞者が輩出された」「中東の民主化や日本大震災などの大きい事件は、受賞者選びに影響を及ぼさないだろう」。それなら何なのだ。米国も欧州でもないとは。昨年は南米から選ばれたのだから、残るはアジアとアフリカではないか。その上、詩人は1996年以降、受賞者がいない。アラブ民主化も影響を及ぼさないというのだから、有力な候補に挙げられるシリアの詩人アドニスさえ除外したのではなかったか。

  言わなくてもよい言葉で推測と混乱を大きく招いた点を意識してなのか、エングルンドは受賞者発表直後のインタビューで、今年の候補選びの正当性を努めて強調するような印象だった。インタビュアーによる2つ目の質問は「スウェーデンアカデミーが、スウェーデンの作家に賞を与えました。外国で論議が起こらないでしょうか」だった。エングルンドの回答が傑作だ。「そうですね、たぶん。しかしスウェーデンの作家が最後にノーベル賞を受賞したのが、間もなく40年になろうという点をお分かりいただかなくてはなりません…スウェーデンの作家に、1年かけて賞をむやみに与えるているのではないのです」

  文学賞の権威は公正さと透明性、受賞に値する人に賞を与える適切性から出るべきものだ。エングルンドの発言を額面通りそのまま信じたい。今後、ノーベル文学賞が特定地域の偏重から脱することを願う。それでも後味の悪い気持ちがどうも収まらない。ひょっとして今年のアカデミーは、非欧州圏について審査に入る前、最後に考えるべき人に賞を与えたのではないか。そうでないことを願う。もちろん、記者から反省したい。一体、ノーベル賞が何だというのだ。来年からは少し冷静になろう!

  申遵奉(シン・ジュンボン)文化スポーツ部門次長
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