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【記者ブログ】「火垂るの墓」めぐる極右映画論議

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2005.04.13 19:10
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太平洋戦争当時、幼い少年とその妹の悲惨な死を描いた日本アニメ「火垂るの墓」(高畑勲監督、1988年製作)が、国内アニメファンによって再照明を受けている。 教科書問題、独島(ドクト、日本名・竹島)問題などで韓日関係が最悪の危機を迎えたこの時期、この作品に対する解釈が論議となっているのだ。

私は数年前、この作品を見て途方もなく涙を流したことを覚えている。 これまで映画を見てそれほど泣いたことはなかった私だが…。 しっかりとした構成と優れた映像美、そしてあまりにも悲しいストーリーが、見る人の涙腺を刺激する。

 
この作品に対する国内アニメファンの反応は交錯している。 一部のアニメファンは、この作品が兄と妹の悲惨な死を通じて、日本帝国主義を擁護、美化する「極右アニメ」だと批判している。 加害者と被害者を巧妙に入れ替えたということだ。 戦争で幼い子どもが悲惨に死亡したのはかわいそうだが、日本の侵略と暴圧によって死亡した大勢のアジア人の犠牲と苦痛に比べれば何でもないと、彼らは主張している。

しかし反対意見も少なくない。 大東亜共栄圏の実現という虚しい国家的妄想の犠牲者になったのは、植民地国家の国民だけではないということだ。 作品には日本によって被害を受けた他の国の状況が出てこないが、作品は兄と妹の悲惨な死を通じて、日本帝国主義を強く批判しているという主張だ。 帝国主義だけでなく、人類の尊厳性を破壊する一切の戦争に反対する「反戦映画」という評価もある。

実際こうした論議は、太平洋戦争当時の神風特攻隊を素材にした映画や歌などでも同じだ。 自殺戦闘機に乗って米軍戦艦に突っ込む前の、神風特攻隊員の微妙な表情や涙を、どう解釈すべきだろうか。 天皇に捧げるこの命を全く惜しまないという悲壮な覚悟だろうか、それとも帝国主義と戦争という不条理の前に無力に倒れていくしかない自身の運命に対する悲しみだろうか。

神風特攻隊員らが死んでいった「悲しい海」を素材にした歌謡からも、見方によっては英雄的な死を賛美する極右作品とも、帝国主義戦争という怪物の犠牲になった若い心魂を慰める反戦映画とも見ることができると思う。 アニメ「火垂るの墓」も同じだ。

太平洋戦争を素材にした日本作品をめぐる「極右」論議よりも重要で深刻な問題は、正しい歴史認識を持っていない日本の若者たちが、この作品を見て、あたかも日本も戦争の被害者だという誤った歴史認識を持つかもしれないという点だ。 特に、日本の「アジア侵略」を「アジア進出」と美化した歴史教科書で勉強した日本の若者たちが、「火垂るの墓」を見てどんな考えを抱くかは明らかだ。

作品で、父は帝国主義勢力の米国との戦争で国(広くはアジア)を守るために戦って勇ましく戦死し、母は無差別的な大空襲という米国の蛮行の犠牲になったという被害者的解釈(そのような悲劇を誰が招いたのかについては考えず)をする可能性が高いはずだ。

あらゆる文化テキストは、これを受け入れる受容者によって、その意味が再解釈されるという。 再び創造されると見ても支障はない。 受容者がテキストを解釈する方式に至大な影響を及ぼすのがコンテクスト(状況や脈絡)だ。 「正しい歴史観」というコンテクストの理解を土台としない受容者が、テキストを正しく解釈できるはずはない。 歪曲された歴史観は、文化作品とこれを受容する若者たちの価値観にも、途方もない害悪を与えうる。 最近の日本教科書波紋を見て胸が苦しくなる理由だ。

私は近く「火垂るの墓」をもう一度見ようと思う。 今度は熱い胸よりも冷徹な頭で。

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