韓半島で核戦争? 現実と想像ミックスした韓国スパイアクション映画『鋼鉄の雨』(2)
だが、映画はありえない偶然の乱発などでなかなか映画の中に入っていきにくい。負傷した「北朝鮮1号の韓国逃避」という設定もその一つだ。北朝鮮要員が車を走らせて韓国を自分の家のように出入りして、国軍病院の防御網をいとも簡単に突き抜けて攻撃する状況などもやりすぎた設定に映る。オム・チョルウとクァク・チョルウの出会いなど映画で起きる多くの偶然を「運命」の一言で片付ける。キャラクターの感情ラインに沿って鑑賞する観客はキャラクターを通してそこにあるヒューマニズムには首を縦に振るが、この部分も人によって反応にかなりの温度差があるだろう。
『鋼鉄の雨』が分断映画としてどれくらい進化したかという部分は、改めて論争の種になるかもしれない。映画評論家のキム・ヒョンソク氏は『鋼鉄の雨』が「韓国映画の分断叙事の素材を拡張した」と評価しながらも「やや粗末な構図と同意しにくい結末は残念な部分として残る」と言う。北朝鮮キャラクターであるオム・チョルウをめぐる極端な設定などもこれまでの分断映画の枠組みから大きく脱していないという説明だ。映画評論家のチョ・ジェフィ氏も「『コンフィデンシャル/共助』(2016)と『V.I.P』(2017)に登場した素材と枠組みを繰り返す叙事的想像力が残念だ。社会政治像に足をひっぱられている韓国商業映画の現住所を示している。映画が終局にはお約束だらけの統一素材の新派劇で終わった」と評した。多彩なキャラクターの立場を通じて韓半島(朝鮮半島)情勢をめぐる各国の利害関係を忠実に表現しようと試み、アクションとユーモアを添えてみたものの、「なんだか(時事)講義を聞いているようだ」という評価もなくはないのはこのためだ。観客と疎通するためにさらに内容を洗練させ、蛇足をもっと切り捨てていくべきではないかという思いを振り切ることができない。