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「韓国文化の中のシルクロードDNA、『韓流ロード』に継承を」(2)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2013.11.19 15:52
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シルクロードという単語を初めて使った学者は、ドイツの地理学者フェルディナント・フォン・リヒトホーフェンだった。彼は1877年『中国』という題名の5巻の著作で、古代中国とギリシャ・ローマの絹織物の交易路をシルクロードと名づけた。これについてキム団長は「当時、東洋と西洋の概念が明確でなかった状況で東西文化交流の観点からシルクロードという単語を使ったという点に注目する必要がある。今日のシルクロード概念も、西欧中心的な二分法的思考から脱却して双方向的で融合的な概念で見ることが重要だ」と力説した。

--今回の祭典でどんな意見が出てきたか。

 
「シルクロードに関して特に注目を集めたのは海洋シルクロードの再照明だった。東アジア専門家のルイス・ランカスターUCバークレー大学名誉教授も『シルクロードは単純に陸路だけではなく海路まで含む大循環路であり、むしろ海上でさらに活発な東西交流が行われた』と紹介した。交易量もシルクよりもコショウ・シナモンなど香辛料がもっと多かったし、したがって名称も『ペッパーロード』に変えるのが正しいという大胆な理論まで提起された。ひとことで言えば、多様で熱い論争が行き来した」

◆大陸・海洋文明交流のハブに位置

--シルクロードにおいて韓半島はどんな位置づけだったのか。

「単純な線だけで見れば慶州はシルクロードの終わりだろう。だが多次元的なネットワーク概念で理解すれば意味が全く変わる。線が直線的なのに比べてネットワークは脱中心的だ。また双方向で疎通する意味が込められている。そのように見れば慶州は単純な終わりでなく、東洋と西洋文明の仲介者の位置に立つことになる」

それと共に彼は慶州の各種の文化遺産を例に挙げた。

「石窟庵(ソックラム)もガンダーラ様式で新羅金冠もスキタイ遺物と似た点が多い。慶州の古墳で発見されたビー玉は北部ベトナムでも発見されるが、これはペルシャ・ローマから渡ってきたものだということが立証された。三国遺事にもインドの王女・許黄玉(ホ・ファンオク)が駕洛国へ渡ってきて金首露(キム・スロ)王と結婚したと出ているではないか」

--シルクロードを新たに発展させる方案は。

「祭典の3日目日『シルクロードと韓流ロード』をテーマにした崔光植(チェ・グァンシク、元文化体育観光部長官)高麗(コリョ)大学教授の基調講演が、少なからず示唆する点を与えたと思う。私たちは以前はシルクロードを通じて主に文明を受け入れるだけだった。だが、いつの間にか援助を受ける国から援助をする国に成長した。また韓流が世界各国で人気を独占するだけに、これをもとに21世紀の新しい形態のシルクロードである『韓流ロード』を発展させる必要があるという主張だった。先進国の追撃型経済モデルである『漢江(ハンガン)の奇跡』から『韓流の奇跡』へと進化し、世界文明の先導的な役割を果たさなければならないという話に、多くの参加者が共感していた」

しかしキム団長は「韓流ロードを前面に出す時は、より慎重になるべきだ」と話した。今のところ中国は「韓国がシルクロードを民族主義次元に転用しようとしている」として警戒感を表わしている。彼は「シルクロード遺産のデジタル化など国際的保存活動に積極的に参加すれば、不必要な誤解を払しょくさせられる」としながら「交流と融合というシルクロードの精神を生かして『開かれたシルクロード』へと進むべきだ」と強調した。

--シルクロードが私たちに与える示唆点は。

「私たちの内部には疎通・創造・融合・共生などシルクロードの文化的DNAが確かに息づいている。慶州の多様な遺跡がこれを証明してくれる。韓半島が大陸文明と海洋文明が出会う場所に位置しているという点を十分に活用して、21世紀の文明交流のハブに位置づけられるように皆の知恵を集める時だ」

(中央SUNDAY第349号)


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