<ノーベル賞の話>2014年物理学賞、中村修二(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.12.13 09:24
中村氏は1989年にこの研究を始めてから4年ぶりに先行技術をさらに改良し、工程が簡単なLED盤技術を開発し、インジウム窒化ガリウムを利用すれば強力な青色光が発散されるのを発見する。日亜化学は1年後にこれを商用化し、これを契機に日本の中小企業からLEDパッケージ分野で売上額世界1位の会社に飛躍した。
中村氏の人生経歴はここにとどまらない。中村氏の開発で多くの稼ぎを得ることになった日亜化学は日本の業界の慣行に基づき彼に2万円ほどのボーナスを与えた。傷ついた中村氏は1999年に45歳で米国に行き教授になった。これに対し日亜化学は中村氏が営業秘密を漏洩したとして米国の裁判所で訴訟を起こした。すると中村氏は会社が発明者である自身に適切な補償をすべきだとして逆に訴訟を起した。会社の執拗な報復とうんざりするような法的争いを経て中村氏は8億4000万円の支払いを受けることで会社と合意した。この訴訟は日本だけでなく世界の企業に大きな影響を与えた。これを契機に会社の社員が技術を発明した場合の報賞体系がより明確に設定され、日本経団連は政府を説得し発明者個人ではなく会社が特許を所有できるよう法律を改正した。