【コラム】中国の北核役割論
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.04.25 16:36
北朝鮮核問題の歴史の針を2002年に巻き戻してみたい。その年の10月、北朝鮮の高濃縮ウラン(HEU)計画が浮上して第2次核危機が始まった。米国は一方主義のネオコン(新保守主義者)が猛威を振るっていたジョージ・W・ブッシュ政府の時だった。ブッシュ氏は翌年のイラク戦争の戦列を整えていた。韓国は金大中(キム・デジュン)政府の末期で大統領選の直前だった。戦争と平和の安保問題が争点になっていた。中国も権力交代期だった。江沢民元主席は11月に共産党総書記の座を胡錦濤氏に譲る。中央軍事委員会主席の座は守っただけに、依然として陰の実力者だった。
関係国間の首脳外交が稼動した。ブッシュ氏は最初の相手として江沢民氏を選んだ。10月26日、自身の私邸であるテキサス州クロフォード牧場で会談を行った。両首脳は韓半島(朝鮮半島)の非核化と平和的解決に合意した。この原則は翌日、韓日米首脳会議でも確認された。クロフォード会談は米中の新たな北朝鮮へのアプローチの出発点だった。ブッシュ氏は北核は米朝両国の問題でなく、関係国間の多国間問題という原則を貫いた。1993~94年、第1核危機を阻止した米朝枠組み合意(ジュネーブ合意)の反省から始まった。