軍艦島地下の石炭採掘、韓国人600人一日12時間重労働(2)

軍艦島地下の石炭採掘、韓国人600人一日12時間重労働(2)

2016年08月16日16時46分
[ⓒ 中央SUNDAY/中央日報日本語版]
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3:長崎に投下された原爆ファットマンの模型。4:尹東柱が投獄されていた福岡拘置所。
  ◆核兵器の惨状、大切に保存してきた長崎

  軍艦島に続いて立ち寄った場所は、日帝降参を引き出した決定的な契機を提供した地域だった。まさに長崎平和公園だ。1945年8月9日、米軍B-29爆撃機が投下した爆弾1発は全てを変えてしまった。原子爆弾の爆発直下地点には原爆犠牲者の追悼碑が建てられている。追悼碑には犠牲者数が「16万8767人」と刻まれていた。70年を超える歳月が流れたが、当時の爆発の跡は依然として残っていた。爆心地点から200メートルほど離れた場所にあった浦上刑務所は建物の形体が消えたが根元の骨組みはそのままだった。

  公園のそばには原爆記念館が建てられている。記念館で最初に目に入ってきたのは針が11時2分で止まったままゆがんだ壁時計だった。依然として原爆の爆発時間で止まっていた。米国は太平洋戦争を終わらせるために第一次として1945年8月6日広島に高濃縮ウラニウムで作った原爆「リトルボーイ」を投下した。日本がリトルボーイの途方もない破壊力に右往左往している間に米国は3日後、長崎にプルトニウムで作った原爆「ファットマン」を再び投下した。当初ファットマンは軍需工場が密集した福岡の小倉に投下される計画だったが雲に隠れて標的地点を探せず長崎がターゲットになった。

  長崎の上空に原爆がさく烈すると一瞬で4万~7万人が即死した。原爆がさく烈する時に発散された光を見た人は直ちに失明し、爆心付近は温度が3000~4000度まで沸き上がって全てのものが蒸発した。都市全体が火の地獄だった。引き続き途方もない暴風が固め打ちして多くの建物を飛ばしてしまった。数時間後、蒸発した水分と灰がグレーの放射能と共に雨となって降った。火傷でのどが渇いていた人々はその水を飲んだ。同行した脱北大学生のチャン・チョン氏は「北朝鮮では原爆がさく烈すれば手の平で顔だけ隠せば良いと教育している」として「北朝鮮がこれ以上、核兵器を開発しないよう阻止しなければならない」と話した。

  記録上では広島で9万~16万6000人余りが、長崎で8万人余りが死亡したことになっている。広島に投下されたリトルボーイ(16キロトン・1キロトン=TNT 1000トンの爆発量)より長崎に落ちたファットマン(21キロトン)の爆発力が大きかった。それでも長崎で死亡者が少なかったのは広島は平地だったが長崎は山で囲まれているからだ。長崎の原爆で韓国人2万人が被害を受け、そのうち1万人余りが死亡したことが確認された。

  長崎原爆平和公園の外側には長崎原爆朝鮮人(韓国人)犠牲者追悼碑がさびしく建っていた。だが平和公園内に韓国人犠牲者の慰霊碑を建設する問題は漂流したままだ。長崎市当局が許可を出さないためだ。平和公園で会った長崎市内の女子高校生(16)は「韓国人犠牲者慰霊碑が平和公園内に入らなければならない。日本人ではない外国人の犠牲者慰霊碑まで全て公園内に移すのが正しい」と話していた。(中央SUNDAY第492号)

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