軍艦島地下の石炭採掘、韓国人600人一日12時間重労働(1)

軍艦島地下の石炭採掘、韓国人600人一日12時間重労働(1)

2016年08月16日16時45分
[ⓒ 中央SUNDAY/中央日報日本語版]
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日帝強制占領期間に海底に埋められた石炭を掘るために韓国人600人が強制労働させられた軍艦島は70年余りが過ぎた現在、廃虚に変わった。昨年6月ユネスコ世界文化遺産に登録されたが強制労働の現場であったことを伝える案内文は探せなかった。
  「星一つに思い出と、星一つに愛と…。星一つにお母さん、お母さん…」。

  愛国詩人の尹東柱(ユン・ドンジュ)は1945年2月、日本の九州のとても冷たい福岡刑務所(現在は拘置所)で誰の世話もなく死んでいった。15日は私たちの民族を圧制して太平洋地域を戦争のるつぼに追いやった日本が降参してから71年になる日だ。日本が太平洋戦争を起こした原動力の1つは産業化だった。これに関する歴史的な場所の1つである軍艦島をはじめ、死ぬまで一点の恥もなく生きた尹東柱がさびしく獄死した福岡拘置所、日本降参の決定的な契機になった長崎の原爆投下現場を見て回った。韓半島未来財団(ク・チョンソ理事長)が主管した脱北大学生対象統一指導者(第11期)研修過程(7月23~25日)に同行した。

  ◆海底石炭を掘った軍艦島

  長崎港から50分ほど船に乗って到着した端島(軍艦島)は「デッド・シティ」そのものだった。遠くから見ても捨てられた場所として荒涼としていた。軍艦島の船着き場に降りて近寄ってみると廃虚状態のコンクリートの建物は骨組みだけが残っていて、いつ崩れてもおかしくないように見えた。さびついた鉄筋と崩れた建物の山、あちこちに散乱している鉄片や窓枠、捨てられた時間を物語るようにアパートの中まで育った雑草。太陽は熱く、高い湿度は息苦しくさせた。その間に戦争当時に強制労働させられた韓国人が石炭の粉と汗でごちゃ混ぜになったまま今でも建物の中から出てきそうだった。石炭を採掘する時の地下坑道の中に入るエレベーターがあった第2坑道の入口桟橋だけがぽつんと残っていた。

  軍艦島の公式名は端島だ。遠くから見ればシルエットが軍艦のようにあらわれて軍艦島とも呼ばれる。太平洋戦争当時、米海軍の潜水艦が魚雷で攻撃しようとしたという話もある。軍艦島から石炭を生産したのは1890年からであった。三菱が軍艦島を買い入れて本格的に海底の石炭を掘り始めた。軍艦島には一時5300人が居住していた。古いアパートが崩壊する事故が発生しながら1973年に廃鉱を決定し、74年に完全閉鎖された。

  長崎港から約18.5キロ離れた軍艦島は南北480メートル、東西160メートルに過ぎない小さな無人島だった。1940~45年に石炭採掘で全盛期を迎えた。1941年には41万トンも掘った。その頃、韓国人600人が強制的に労役した。最も難しい作業に投入された韓国人労働者は坑道の入口から垂直で600メートル降りて行って再び横に500mを移動した後400mさらに深い所に移動して石炭を採掘した。90%を超える湿度に摂氏40度を前後する最悪の条件で彼らに与えられたのは大豆油の絞りカスを混ぜたおにぎりと水だけだった。一日8時間ずつ労働をすることになっているが12時間作業した。韓国人労役者らはアパート地階の小さな部屋で30人ずつ暮らしながら夜中には南京虫とたたかっていたという。給料をもらっていたがさまざまな名分で全て踏み倒された。時々脱出を図ったりもしたが溺死するのが常だったし、発覚すればすぐに処刑された。このようにして120人が犠牲になったという。

  日本は軍艦島を2015年6月「明治日本の産業革命遺産」23カ所の1つとしてユネスコ世界文化遺産に登録した。だが、かつて軍艦島で発生した強制労働は世界文化遺産の「普遍的な価値」を無視したものだった。したがってユネスコは文化遺産登録の条件として韓国人強制労働を認める案内板を設置するよう勧告したが、いまだにどこにも探せなかった。軍艦島から戻ってくる船で会った70代の乗客は「(多少申し訳ない表情で)その時は戦争状況なので仕方がなかった」と言って日帝の過ちを一部認めた。(中央SUNDAY第492号)

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