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<慰安婦生存者13人証言>「地獄のような慰安所、私を支えたのは…」(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.08.14 15:56
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コンさんは入れ墨をした後、まもなくハルビンの慰安所に移された。「本当につらかった。殺鼠剤をのんだりもした」。 そこでコンさんは自暴自棄になって殺鼠剤をのんだ。気を失い、手足が冷たくなって倒れたコンさんをみて医師は死亡と診断した。棺に入れられて待っていたコンさんは蓋が閉じられる直前、奇跡的に意識を取り戻した。「このように死んで生き返ったが、意識が戻って帰ってくると、また営業をさせられて…」。棺の中から出たその日も、コンさんは日本軍を相手にしなければならなかった。

45年に解放され、彼女たちの慰安婦生活も終わった。海南へ向かう帰途に宝城(ポソン)出身の男性に会った。コンさんの「初恋」だった。男性は帰国行列の中で彼女を見失わないようお互いの体を紐で結んだ。このように韓国に戻って生活を始めたが、2人の間には子どもができなかった。コンさんの体が慰安婦生活でぼろぼろになっていたからだ。申し訳ない気持ちでコンさんは結局、別れることを決心した。その後、28歳になったコンさんは見合いで17歳年上の男性と結婚した。コンさんは「生涯農作業だけをしてきた男性」と言った。結婚生活6年目に夫との間に息子1人が生まれた。しばらくすると夫は持病で亡くなった。

 
夫を亡くしたコンさんは「巫女」になった。恨が抱いた人たちがコンさんを訪ね、コンさんはこの人たちのために祈祷した。他人の恨だけでなく自分自身の恨も洗い流す祈祷だった。「私は霊を迎えるのではなく儀式だけをする巫女」。

コンさんは今年2月に脳卒中で倒れた。市民団体「海南ナビ」のボランティアが毎週、コンさんを訪ねると、車椅子に乗って病院の前に出るのが外出のすべてだ。インタビューを終えた記者の手を握り、コンさんはこう語った。「私の3人のお姉さん…いや、お姉さんたちの孫でもいいから私が死ぬ前に必ず一度会ってみたい」。コンさんに多くの時間は残されていない。


<慰安婦生存者13人証言>「地獄のような慰安所、私を支えたのは…」(1)

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    2015.08.14 15:56
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    入れ墨を拡大した写真。左側から「順天のお姉さん」「光州のお姉さん」「全州のお姉さん」を象徴する。
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