【コラム】韓日中が詩人・尹東柱を記憶する方法(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.07.20 10:23
その回顧は韓国文壇・学界を恥じ入らせる。それは優しい軽蔑だ。大村の初めての幸運はアリバイがある。墓発見当時は、韓中修交の前だった。だが、肉筆原稿は違う。韓国の知的風土は原典、基礎資料の習得がいい加減だ。現場追跡に怠惰だ。その代わり、死後分析や批評、意味付与には慣れている。王信英教授(日本語科)は19日、「その時に驚いたのは、私が肉筆原稿を見ようと思った初めての韓国人だったという点と、韓国国文学界の無反応ないしは無視だった」と述べている。
失望するにはまだ早い。反撃が進められた。王信英は肉筆原稿の筆写とディスケット保存に没頭した。王信英は「原稿を読む間、尹東柱詩人があらゆる秘密を告白し、私は首を縦に振っているような錯覚に陥ったりもした」と話す。王信英が主導した作業は出版につながる。発刊作業に大村教授、遺族〔尹仁石(ユン・インソク)教授〕も参加する。99年共同作業で『尹東柱自筆詩稿全集』が出版された。その本の位置づけは独歩的だ。尹東柱を知ろうとするとき、避けて通れない存在だ。
日本・京都の同志社大学キャンパスに尹東柱の詩碑がある。95年、同志社の在日同胞卒業生が設置した。こぢんまりした規模(高さ70センチ、幅1メートル)だ。尹東柱の『序詩』が原稿文字で記されている。その横には同志社の先輩である鄭芝溶(チョン・ジヨン)の詩碑(2005年設置)もある。ここは同志社の中心だ。その向かいの建物は「礼拝堂」(重要文化財)、横は明徳館だ。九州大学のイ・ビョンジン研究員(54)は「キャンパスの傍らに詩碑があるんだろうと察していたが反対だった。尹東柱の在学中の日本名が記されているかと見てみたが、そうではない。同志社の自由と開放、キリスト教の学風は印象的」と話した。尹東柱の日本名は平沼東柱だ。創氏改名は帝国・日本の悪辣な措置だ。彼の詩の懺悔録はその時の悔恨と苦悩を含んでいる。